新年や町の大木見上げけり
大木に新年の光見上げけり
テレビで皇居の森を写していた。次の歌も紹介していた。
わが国の たちなほし来し 年々に あけぼのすぎの木は のびにけり
昭和天皇の歌でメタセコイアの杉のことだった。昭和天皇は歌が上手だし生物学者でもあり優秀な人だった。ただ戦争中は軍神にされて不幸なものとなった。今の天皇も皇太子ももう一つ人気がない、歌もそれほど上手にもみえない、万葉集の時代から天皇は歌う人でもあった。それもプライベ−トではない、国を思う人であることが違っているのだ。わが国・・・というとき一般の人は今こうした感情をなかなかもちにくい、国という意識が希薄になっているからだ。わが国を導く人だから自然とそうなっているのだ。この歌も相当いい歌だし好きになる歌である。皇居内に森がありこういう歌が歌われていることは日本の自然とつながっていることで活きている。神道は何かわからない、自然信仰として発生したものだろう。
鎮守の森とか杜は木+土であり木を守るのが神社なのか?仙台の宮城野原の銀杏町の千年の銀杏はそうである。鍾乳洞のように木の枝が垂れているから樹が霊のようになり活きている感じになる。木でもこれだけ生きると畏れ多いものを感じてしまうのである。ただあそこでも回りは家が密集してビルが立っていると木が映えないのである。小さな町だと高い木が映える、ビルがないし低い家しかないからである。やっと三階の家があるがあとは平屋なのだ。だから木は高く大きく見えるのである。これが都会だとビルの方がとんでもなく高いから木でも盆栽の木のように見えてしまう。もちろんそこで人間は蟻になっているのだ。いづれにしろ皇居自体が鎮守の杜になっていたことは確かである。