2007年12月31日

冬の暮(NHKハイビジョン−京都茶の湯の歴史)


聚落第の跡もなしかな冬の日や大黒残し茶の湯の道


聚落第幻にあれや冬の日や茶室に静か入る人かな

秀吉の跡は継がれず茶の道の残され継がれ冬の暮かな
 

例えば、16世紀末の日本の政治家織田信長は、ポルトガルの宣教師から
西洋の城郭の話を聞いて、わが国天守閣建築のさきがけとなりました。信長
を継いだ羽柴秀吉は、手掛けた建物の多さから「普請狂」と呼ばれています
が、大坂城や聚落第は当代の文化の精華でした。

 
東山当時の茶の湯は(あばら家のような茶室ではなく)端正な書院造の部屋で中国の美術品をたくさん並べて鑑賞する美術鑑賞の場だった
 

禅宗との深い関わり
茶道はもともと唐(618〜 907)の時代の中国から伝わったと言われています。 茶道の精神は禅宗の考え方に基づいており、鎌倉時代、日本全国に禅宗が広まるのと共に茶道も全国的に広まりました。 そして、室町時代の華やかな東山文化のもと、茶の湯が成立しました。その後、安土・桃山時代に千利休が侘茶を完成させ、 これが現在の茶道の原形となりました。


秀吉は最初から土木事業者だった。一夜城というのもそうだったし城を水責めするというのも土木事業だった。それは田中角栄にもにていた。日本列島改造論がそうだった。田中角栄も土建屋だった。信玄も信玄堤を作った。昔の武将は支配者は様々な才能をもった人たちだった。人間的総合的な力を才能を知恵をもっていないと勤まらなかったのだ。一芸にたけただけではつとまらなかった。過去には人間で優秀な人は総合的人間だった。今は専門家であり総合的人間はかえって無用化無能人間にされるのである。結局総合的人間は何もできない人にされてしまう。私は人間の体を全部みて直すとか言う人は誰も信じないし能力がない人なのである。私は目を直すとか肝臓に詳しい、心臓のことならまかしておけとか一部に詳しい人が能力ある人なのだ。
 
何事物事を見るときは歴史的眼が必要である。簡単な要点でもいいから歴史的にどういうふうに茶が取り入れられたとか発展したのか見る必要があるのだ。秀吉が朝鮮出兵して韓国の陶工を連れてきて日本の茶碗作りも発展した。それから鎌倉時代に禅宗が入り禅宗と茶は一体のものだった。すでに侘、寂の精神は歌にも詠まれていた。
 
さびしさに 堪えたるひとの またもあれな 庵ならべん 冬の山里  西行
 
これが茶の湯の精神の基となっていたのだ。歴史をみるとき、聚落第という豪華絢爛な世界は消失してその跡に何も残っていないというのも不思議である。それは全く夢のように消失してしまった。一方侘、寂(さび)の茶の湯の道は残ったのである。黄金の茶室とはあまりに対象的な世界であり金閣に対しての銀閣とこの対象性も歴史である。高度成長時代は日本列島改造論の土木事業の時代であり建築ラッシュの時代であり自然破壊の時代だった。それも時代的に桃山時代とにている。一方で侘とか寂を追求する世界があったのだが高度成長時代は全部が一方方向に向かいつき進んでいた。明治時代も富国強兵であり全員が同じ方向を向いて驀進して世界戦争に突入したのである。しかし秀吉の時代に利休がそうした豪華絢爛な大事業より茶室の数寄屋を追求したというのも時代に反した価値観に生きた。そこにバランスがとれたものがあった。現代はみんな一方通行であり対象的な価値を求めることはないのだ。地域でもそれぞれの特色が活かされるとき地域も活きてくるがみんな一様化される、グロ−バル化で世界すら一様化されることで文化喪失の時代が現代なのである。
 
侘,寂の世界というとき東北がみちのくが一番あっていた世界である。歴史的にもそうだし東北は侘、寂の世界であり枯野の世界であり風土的に茶に一番あった世界なのである。ただ茶は盛んではないし茶道なるものを私自身何も知らない。でも侘、寂の世界は精神はわかるのである。北海道は侘、寂の世界ではない、新開地としてのアメリカ大陸とにている。日本という地域にしてもバラエティに富んだ風土なのである。その風土は自然と歴史のなかで醸成されてきたものであるから簡単には作れないものなのである。


NHKハイビジョンの茶の湯の歴史400年の映像が記録されていた。それをもう一度見て面白かった。登り窯ではなく一個一個を火のなかで焼き上げるのは古い手法だった。フイゴまで使っていたから最初はあのようにして焼き上げていたのだろう。あれでは大量には作れないから一個一個芸術品を作るように作っていたとなる。京都に受け継がれているものは奥が深い、ただなかなかその奥深さが外からわかりにくいのだ。京都に何回か行ってもわからない、文化は時間のなかでしか理解が深まらない、時間というとき何代もつづいて伝えてゆくところに継続する文化の意味もあったのである。

 
聚落第幻にあれや冬の日や茶室に静か入る人かな

聚落第も安土城もまるで幻のように消えた。それはあまりに豪華絢爛なものであったが一場の夢だった。しかし侘、寂の日常的なものは残った。かえって豪華絢爛なものには儚さがあったのである。
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