2014年03月08日

北海老の残る雪の情緒 (人間は一番身近なものの良さを知らない)


北海老の残る雪の情緒

(人間は一番身近なものの良さを知らない)


北海老の溜池広く冬芒

北海老の畑に小屋や残る雪


北海老の残れる雪の清らかに杉木立の陰畑ありしも

山陰の北海老村に誰がよるや喫茶店あり春寒しかな
山陰の北海老村の喫茶店前は納屋なり残る雪かな


人間は近くを見ていない、隣の芝生はいいとか常に外がいいと見ている。そして観光地はつまらないという感想をいだく、
京都に行ってもつまらないとかなる。それはなぜか?
結局見る目がないからである。その一言につきる。
南相馬市だって鹿島区だって何が見る所あるんだ、こんな所に住んで何がいいんだとなる。
もう原発事故とかでさらに住む価値がなかった。もともとここには何もなかったからこの際都会に移った方がいいとかなる。
自分も若い時はそうだった。故郷を出たい一心で東京の大学に入った。
勉強したいとかではない、故郷を出たかったのである。故郷に何ら魅力を感じなかった。
それは後年もずっとつづいていて旅行ばかりしていたとなる。

しかし人間は本当に「灯台下暗し」だということがわかる。一番身近な所がわかっていないのだ。
一番近くの魅力がわからずに遠くへ遠くへ行く、でもそこもつまらないとなる。
そもそも近くの魅力がわからなければ遠くの魅力もわからないのである。
それで意外と自分の住んで場所の良さがわからず良さを知るのは外部の人だとなる。
日本の料理の良さを一番知ったのは外国だというのもそうである。
そんなもの日頃食べているから日本では特別いいとは思わないのである。
でもたいがい外国の料理は肉食であり牛肉とか豚肉とかチキンが主である。
日本は魚や野菜が多いし何か健康食なのである。だから長寿の国にもなっているのだろう。

最近外国をまねて食生活を変えたら欧米人がなる病気も日本人に増えたことでもわかる
日本の風土はもともと『魏志倭人伝』に「この国に牛馬、虎豹、羊鵲なし」であり魚介類中心の食生活だったのである。
そういう風土によって日本人は歴史的に作られてきたのである。
日本では水はそのまま山の清水でものめる。外国で自然のままの水を飲める国はほとんどないことも恵まれていたのである。
だから外国から日本に来ていいなと思う人はかなりいる。
水道の水を飲めて水を買わなくていいというのも大きな利点なのである
水代だけでも馬鹿にならないからである。

ともかくすぐ近くの北海老と北屋形のことを見逃していたことでもわかる。
そこはすぐ街の近くであった。海老だったら海や松原はいつも行っていた。
八沢浦でもいつもあそこは浦だったんだなと意識していた。
だからあそこが浦になっていたらどれだけ美しいだったろうといつも自分はイメージしていたのである。
それが津波で現実化したときほど驚いたことはない。
そこで泥に埋もれて子供が死んだのを発見したとか言うのに
お前は何が美しい八沢浦がもどったなどと言っているのだと批判された。
それもそうであった。でも人間は近くでも津波の被害にあい家を失い家族を失った人がいても
自分が被害がなければその苦しみはわからない。
津波の被害地域が全部家をなくしたわけでも家族をなくしたわけでもなない。

だから本当の苦しみはそういう被害にあった人たちでありその苦しみはその人たちが負っているのである。
それを外からいろいろ同情の言葉をかけても言葉だけじゃないかとなる
何か偽善的になってしまうのである。
「俺たちの本当の苦しみがわかるのか、言葉だけの同情はいらない」とかなるだろう。

しかし自分はここ7年間の家族の病気介護、自分の病気の苦しみを書いてきた。
その時誰もにも同情されていない、むしろ自分が差別とか自分が病気の時すら借金とかを要求され脅迫された。
何の同情もない、かえって弱みにつけこまれ犯罪にあった。
それが弱肉強食の世の中をまざまざと見たし身にその苦しみを負った。
だから今回の津波や原発事故ではみんな同情され現実に過剰な支援すらされているから
悲惨であってもいい面はあった。
もちろん被害にあった人は原発の避難者でも故郷を失う家を失う悲しみは苦しみは金では代えられないというのも本当である。
ただ回りから同情されて支援されていることは確かなのである。

自分の場合は全く支援もなにもない、病院でも脅迫されたり看護師にはいじめられたりとさんざんな目にあっただけである。
結局他の人でも人の苦しみは実際はその人だけが負っているのであり他人にはわからないのである。
だからその人が自分の苦しみを訴えればそれは訴えるものがある。
他から同情するときどうしても偽善的になるのである。


とにかく北海老についても南海老はいつも行っていたけど北海老は注目していなかった。
北屋形もそうだった。そして南屋形と北海老は表と裏のように違っていたのである。
それを意識されたのはニコニコ堂という喫茶店が北海老にできて訪れたことにあった。
まず場所がわかりにくかった。他の人も案内もないのでわかりにくかったと言っていた。
あそこは立地的に海も見えないからいいとは思わなかった。
でもあそこにあそこの場所の良さがあることに気づいた。
それは今まで解説したように裏に八沢浦があったことである。
八沢浦は江戸時代まで海の暮らしが現実にあった。海老村にもあった。
それが津波で海になり現実的になったのである。

 

nokoruyukiii11.jpg

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こんなふうに雪が残っているのは今回の雪は大雪であり雪の性質も違っていた。
この辺ではすぐ消えているからだ。

 
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