2005年11月29日

晩菊

晩菊に今日も我が寄り我も老ゆ

バス行くや乗る人なしに冬菜かな


毎日晩菊を見ているその自分が老いてゆくというのも奇妙である。今の時代親が90歳とかめずらしくないから子供も老いているのだ。これも時代である。まだ寒菊という感じがしない、寒菊はもっと寒くなってからの方があっている。

バスはなんか前時代の遺物のように見えるんだがたまに走っている。乗客がいなかった。バスというもの自体何かなつかしいものになっているのだ。車というのは好きでないし俳句にもなりにくい、バスは俳句とかになりやすい、バスはまだ何か人間的なのである。そしてバスにのるのは今や老人が多い、バスの利用はこれから多くすべきである。自家用車のない人だっているしバスは地域の足として必要なのである。バスはまだ人間的なぬくもりみたいなものが感じる。車はメカとしてしか認識できない、人間的なものではない、車は便利でも何か人間を疎外してしまうのだ。

晩菊や里の老人バスを待つ

http://www.musubu.jp (本サイト)
http://www.musubu.jp/2004dairyhaiku4.htm (過去の今日の一句一首)ログ
この記事へのコメント

バスはスロ-なのかな

バスはのろのろ走る
バスは象のように
バスは大きな図体でのろのろ走る

バスとか路面電車は何か人間的だからいいんだよ バスは途中結構とまるから遅くなる
これは電車とにているんだよ
そこに地名がありその地名に関心をもつのも
汽車にのるのと同じなんだよ

Posted by コバヤシ at 2005年12月01日 21:13
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