2014年03月01日

津波から三年たつ海老村の状況の写真 (旅館が一軒と喫茶店が一軒新しく建った)


津波から三年たつ海老村の状況の写真

(旅館が一軒と喫茶店が一軒新しく建った)

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この字がよめなくなっている

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この旅館の庭は石の庭である
まだ完成していないのだろう



何もなき海老の村かな庭の石点々と残り春の日曇る

碑の一つ字もわからずに津波跡残りてあわれ春の夕暮

春の海曇りて一艘貨物船沖ゆく見ゆる海老の浜かな

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宮城県の人などもきていた

テレビの宣伝でくるものなのだろうか

鹿島区の仮設食堂の双葉はテレビで宣伝したから入るのだという

テレビの宣伝がそんなに効果あるものなのかわからない




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納屋を改造したものだがしゃれた作りになっている

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ニコニコ堂への道はわかりにくい
案内もない
阿弥陀寺と八沢小学校の中間の道である
その道をまっすぐ言くと
マッサージ浅野という看板がありそこを曲がるとある



海老村に南海老と北海老があったが北海老村はほとんど墓地を残して壊滅した。
そこに「富士旅館」というのが建った
あれは津波からも残ったのかと思っていた。
残った家を改造して旅館にしたのだろう。
それはその家の人ではなく外部の人が買い取り旅館にした。
今営業しているかどうかわからない
その前はほとんど全部の家が津波で流された
だから海まで見える見晴らしのいい場所になった

あそこに残った庭の石が散らばり積み重ねられている
あの石にも所有者がいて勝手にはできないという
ただあの場所にはもう住む人がいないのだから
まだ早いかもしれないが公園のような場所にするほかないだろう
だからそこに残った石を活かすかとも考えねばならない
新しく家を建てた人は自分の石をまた庭にもってゆく
残った石は使用しない石は津波の跡のモニュメントのようにする
石を買い取るほかないとなるとまた問題だかこれはあくまでも一つの構想である

いづれれにしろ景観まるで変わったから
あそこの富士旅館は見晴らしは抜群である
そういうことで泊まる人がでてくるかもしれない
津波のことはそこで必ず語られる


石碑が倒れてあった。あれは金砂神社のものなのか?
字すら津波の力でそがれてわからなくなっているようだ
津波で流された石碑はどうなったのだろうか?
それも文化財の消失だった
村ごと消えるなど想像もできなかった


そこからテレビで写された海老の新しい喫茶店を探したがわかりにくかった。
あの辺は屋形村であり海老村とは思えない
まるで隠されるようにあった
入り口に看板もないのでわかりにくかった
六号線のダイユーエイトを海の方に行きそこで曲がり
阿弥陀寺の方に行きそこから八沢小学校の手前の道を入りマーサージ浅野という
看板の所を入って行った場所で本当にわかりにくい
もともと納屋だったのを改造した
中は結構しゃれた造りになっている
人数にしても15人くらい入れるから狭いとも言えない


ただここの弱点は海老村とあっても海は全く見えない
山陰になっていて見晴らしが悪い
見えるのは前の畑と庭である
ここで花などは見れるようになる
喫茶店とかレストランでも立地が作用する
見晴らしがいいと食べるのも休むのもいい
津波の跡でまだ観光気分にはなれないが
海が見えたらやはり気持がいいだろう
海を船がゆっくりと行き来して
カモメが飛んでいるのを見ていると海らしいとなる
あそこはそうした海が全く見えないから喫茶店としては
かなり立地条件では落ちる


海老や屋形村の方から右田の方を見ると低くなっている。
海老村に向かって田んぼは低いにしても段々畑のように高くなっている。
右田村や烏崎は高低ではかなり低い場所であり
それが津波で判明した
この辺で海側で一つ所はみんな湿地帯か海の延長部分だったのである
八沢浦はまさに奥まで入江になっていたことでわかる


ともかく津波から三年たつがその間にまた変化があった
海老村は二軒新しい商売の店や旅館ができた
観光気分ではないにしろ津波の跡地利用どうするかが今後問題になる
津波の跡で観光気分かここで人が死んだんだぞ
そこで笑って観光かともまた遺族からしかられるかもしれない
でもいづれは何らか記念的なものモニュメント化するだろう

三年目はそうした津波の悲しい記憶ばかりを語ることはできなくなるだろう
その跡地をどうするかということが実際問題として考えねばならなくなる

だから庭の石を活かすモニュメント公園もいいじゃしいかという一つの提案である
その庭の石に腰をおろして海を見るということはやはり津波をふりかえることでもある
その石は津波に流されたり残ったりしたものだからである。


海老村に自転車で街に来るニートをよくみかけた。
その人が住んでいる家がわかった。
あそこから見るとスーパーのある街はかなたに見えた。
かなり遠く見えた
だから買い物するだけでかなりの労力である
その人は車がないからそうなる
近くに店屋もない
前は万屋(よろずや)などがあったがそんな店も今はない

だから田舎だと街から離れていかに不便になるかである
タクシーにしても1500円とかかかることになる
だから田舎は広いから車がないと住めない
でも街内だとなんとか住める

つまり田舎は街もあり街から少し離れても農家になり
さらに離れて村があり漁村がありと複雑なのである。
生活も土地土地で多様なものとなっていた
だから田舎のことは都会の人にはわかりにくい
まず誰か詳しい案内人がいないと知っていないと住めないだろう
人間関係も狭いから都会とはあまりにも違いすぎるのだ


こうした土地の距離感とか土地の高低はまず地図など見てもわからない
実感としてわかるためにはその土地を現実に踏まない限りわからない
そこに何か田舎に対しての誤ったイメージを描くのである
ともかく津波原発事故から三年は大きな区切りの年だろう
いつまでもかわいそうな人たちだとかそんなことばかりで
外部の人にあまえてはいられなくなるだろう。
だからいつまでも津波の跡を放置してゆくことはよくない
津波のことは忘れないにしても何らかの対策することが必要である

 
 
posted by 老鶯 at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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