
(街道てくてく旅−日光、奥州街道−NHKハイビジョン)
埋もれたる奥州街道草いきれ
テレビで奥州街道をゆくを放映していた。卓球選手の女性が歩くものだった。栃木県の氏家辺りにその道があったのだ。昔の街道がいかに淋しいものだったかこれでわかる。街道というと何か大きな広い道をイメ−ジしてしまうのだ。奥の細道だから道は細いのである。杉並木の道でも暗い道だった。その暗い道を日光までゆくことで東照宮は神秘で豪華なものとして映えた。杉並木の道のかなたに東照宮の荘厳が浮かんでくるのである。このハイビジョンの街道の放送にでていた卓球選手の女性は一句だけいい句を作っていた。それは「初紅葉」の句だった。はるばる日光まで歩いて初紅葉に迎えられたことを俳句にした。若くても一応俳句のセンスがあるから自分の若いときより優れている。私の場合ふりかえっても30頃までいいものがほとんどない、その後もあまりいいものがなかった。つくづく私の場合は60になって開花したともなる。これもやはり旅の蓄積があったからなのだ。その時はいいものを作らなくてもつまり旅をしたということ自体が貴重なことだった。その時間は今やなくなったからだ。この初紅葉の句も電車とか車で行ったならこの句の感慨は薄れる。はるばる歩いて行ったからこそ初紅葉が一際美しいものとして映った。旅人になっていたからである。今や旅人になることはそれだけむずかしいのである。あとの卓球とかは無駄なことだった。ビデオには無駄が多すぎるから情報としては切り捨てねばならない、今や情報の取り入れ方は各自が編集することが必要なのである。
埋もれたる奥州街道草いきれ
草いきれというときこれは−夏草やつわものどもが夢のあと−に通じるものだった。なぜなら夏草がむんむんと辺りに生い茂っていたのが芭蕉が見たときの奥州街道だった。夏草の道を踏み分けてゆくような道が「奥の細道」だったのである。しつこいほど言っているが昔はこうして途切れた記憶の道を再構築する作業が必要になっているのだ。想像力で現地を踏んでよみがえらせない限り過去は浮かんでこない、これは奥の細道だけではない、過去の戦争体験でもその人の過去は途切れた記憶をつなぎあわせるような作業が必要になっているのだ。
白河関跡、堙没(いんぼつ)シテソノ處所ヲ知ラザルコト久シ。旗宿村ノ西ニ叢祠(草木に埋もれた祠)アリ
芭蕉らは鬱蒼とした草木に埋もれた古い明神祠を見ても、そこが白河関の跡であるとは判らなかったようだ。また、曽良の随行日記には追分の明神の記載も見られるが、そこへは立ち寄らず、関山を経て白河城下へと向かっている。
実際は白河の関がどこかは不明になっていたのだ。ここにもかえって現地を旅した時の意外性があった。旅とは常にそうである。想像したものとは違ったものとして現れる。過去もまた今や自分自身すら経験したものとは違ったものとなっているのだ。
生い茂った草に埋もれた途切れた道
草いきれがする道を踏み分ける道
そこに古人の旅する吐息がもれる
遠い記憶のなかの道が脳裏に通じる
歩いて行く古人の姿が見える
そこに出合いがあり別れがある
しかしたちまち現代の喧騒の道にかき消される
それでもその途切れた道を記憶のなかでつなぎあわせると
昔が一連の物語として一本の古木のように根を下ろす