2007年12月27日

冬の日(日時計)


冬の日や時計の刻む音を聞く

冬の日や日時計の影動かざる

しぶとくも咲き残る菊二三輪冬の日さしてもはや散りなむ

冬の日というとこの辺では晴れた日の冬の日である。一方会津とか日本海の冬の日はどんよりとした雪の日がつづく、今日は日向ぼこしてくつろぎ一時休んでいるとカチカチと時計の音がした。普通は時計に追われているのが現代人である。その時計の音を聞いたとき時計も心臓の鼓動のように動いて時を刻んでいる。何か生き物のように思えたのだ。今は機械に使われている、江戸時代は和時計などがあってもこれで生活が人間が社会が動かされていない、珍しい飾り物だったのだろう。

さて、津田助左衛門についてである。天保15年(1844)に編纂された『尾張志』の中に
「自鳴磬(トケイ)、俗にトケイという。常盤町津田助左衛門これを作る・・・中略・・・いにしえ漏刻の器にて時を測りしが、近年自鳴磬を異国より献りし後、簡便の器なるがその製を知る人なかりしを助左衛門はじめて修覆し、且新造して奉りしかば、その功少なからず。日本時計師の元祖ともいうべし」という記述がある
。   
http://silver.ap.teacup.com/applet/syumoku/200609/archive?b=10

自鳴磬(トケイ)はここからきていたのか?自ら鳴るとあるからカチカチと鳴ることに注目していた。他に面白いのは「刻限日影石」である。

この石は、長年の懸案だった笠田新田と大泉新田の分水時刻を巡る紛争を解決するために、弘化4年(1847)5月に、大泉村の庄屋の発案で建立された。碑は大溜の南西側にあり、高さ60センチで、道路に面して建てられている。正面には「弘化四丁未年五月)、向かって右側に「従日之出七ツ半迄大泉新田」、向かって左側には「従七ツ半時日之出迄笠田新田」と刻んである。
http://www.it-support.or.jp/link/hiroba/hokuseisen-HP/html/03kamikasada.htm

実用的に時を計ることは必要だった。時間により水を配分する必要があった。時間のことを研究すればいろいろある。
腕時計を外すことで、何となく時間に追われている気分がなくなったような気分的効果もある。私のボスも腕時計が嫌いで、着けておらず、私が事務所に入った頃には時計を全く持っていなかった
時計に分刻みの時間の生活から逃れられないの現代人である。だからあるとき時間から機械から離れることが心の余裕をうむ。一日でも時間がとまったら現代人も穏やかな気分になるだろう。小川未明の童話の「眠い町」の話は面白い。魔法の砂をまくと都会の忙しい雑踏が眠ったようになってしまう。汽車の線路にまくと電車のレ-ルが錆び付いたり人をひき殺そうとした自動車がとまったり騒がしい工夫が眠りについたりと眠い町になってしまうのだ。
現代人は機械と時計の奴隷になっている。社会生活が機械のシステムと時計の動きのなかに人間は機械化されている。本来の人間の時間は自然のリズムとなる時間はないのだ。現代文明の中心に人間はいない、機械であり統計的数字であり決して一分も遅れることを許さない過酷な時計が人間を奴隷にしているのだ。
インタ−ネットの不思議はいくらでも他から知識を引用できるので書き続けることができるのだ。今でもテレビを見てもリアルタイムでかける。インタ−ネットも知識の魔法を作り出した。つまりこの魔法によって次々に私も知識のリンクをして書けるのである。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/8851961
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック