2014年02月24日

春寒し(顔にその土地の自然が反映している)

 

春寒し(顔にその土地の自然が反映している)

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冬日さし宝永の碑の残るかな


東風吹くやかなたを思いみちのくに


春寒し鴎の二羽の真野川に朝飛び来たり山の翳りぬ

山脈に残れる雪や雲影に翳り深めぬ春寒しかも

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昨日を撮った写真だった。昨日はまだ寒かった。今日は春らしく東風(こち)が吹いた。
明らかに東風(こち)が吹く時はこの辺は春らしくなる。
この東風は九州からさらに海を渡って吹いてくるものなのだろうか?
風は地球規模で吹くから風を感じることは地球の広さを感じることに通じている。
貿易風などもあり風は一地域に吹くものとは違う。

ただこの東風が原発事故では災いしたのである。
飯館村から福島市まで東風が吹いたから放射性物質も運ばれた不運があった。
北風だったら海に半分は流されていたのである。
浜通りは海に流されたのが多かった、南相馬市でもそうだったのである。


真野川に鴎が飛んでくるというとき海が近いからである。
鴎を見れば必ず海をイメージする。
ただなぜ琵琶湖に鴎が飛んでいるのか、あそこも海と通じているとなるのか?
川をさかのぼり琵琶湖に飛んでくるのか不思議である。


山脈(やまなみ)が翳るというとき、人間の顔にも反映される。
東北人が何か暗いというとき雪国の人が暗いというとき、それは自然が反映されているからである。
雪国だったら冬の間に閉ざされて暮らしたら誰でも暗くなる。
それが顔にも反映される。
実際に沖縄の人などはそうした顔に暗さがない明るさがある。
それは九州の人でも同じである。
だから沖縄に行ったとき、あんたは東北の人だと一目見て言われた。
やはりそういう特徴を東北人はもっているのだ。
その人とは一言も話さないがわかったのである。

人間の顔にはそうした自然が自ずと反映される。

ただ東京のような大都会となる自然の反映がなくなる
だから顔に深みがなくみんな数字のようなロボットのような顔になる
そんなことまで見ている人はいないしわからない
でも海辺に住む人と山に住む人も縄文時代あたりだったら
顔を見ただけで区別できたかもしれない
今でも山岳民族が生き残っているけどその顔はそういう自然の刻印が押された顔になる。

宝永四年の碑が鹿島区の神社の脇では目立つ、あそこは神宮寺だった。
もともと神社であり後に寺になった。それで寺子屋もあり
その記念の天保の碑があった。でも気付いたのは二人だけだった。

あそこに復興住宅団地がたつから墓地としては何かふさわしくなくなった。
この辺の変わりようはあまりにも大きかったのである。

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