2014年02月16日

なぜ被災者は働かないのか (原発避難者の風当たりが強くなってくる)



なぜ被災者は働かないのか

(原発避難者の風当たりが強くなってくる)

つぶやきかさこ
http://kasakoblog.exblog.jp/17228759/

このサイトに要点がわかりやすく書いてある。やることないから東京でキャバクラに行った、
あとは毎日パチンコだ、汚い仕事はボランティアがやればいい、こっちはかわいそうな被災者なのだ、
補償金や義援金ももらえるし働くと失業保険の金がもらえねえしな、馬鹿らしいんだよ・・・・

こういうことも一時期はしかたなかったろう。どうしていいかもわからなかった。

でも三年目になるとそうはいかない、回りの目も相当に違ってくる。
このプログでは一年目でそう書いていたのである。
一年目ではまだまだ被災者を責めることはできなかったのである。
回りではおかしいなと見ていても見逃していた。
でも三年目になったら回りの目は厳しくなる

原発被災地でも南相馬市でも補償金で小高区と原町区と鹿島区はそれぞれ額が違っている。
一番多いのは警戒区域になった小高区である。ここは一人十万でありその他にもいろいろもらっている。
だから一家で百万もらっているというのもいる。
それでボランティアが働かないと喧嘩になった。
そのことは一年目とか二年目であった。今ではボランティアの数は相当減っている。
事情は常に時間とともに変化している
地域ごとにも変化している。

福島県内でも中通りは郡山市でも二本松市でも福島市でも放射線量が南相馬市とかより高い地域がある。
でも何ら補償金はもらっていない不満がある。
それで南相馬市の人の車が福島市で傷つけられたというのはそういう不満があるからだろうか?
その真偽はわからないにしても福島県内でも対立があるのだ。
こういうことは宮城県や岩手県ではそんなにないと思う。
そもそも原発の補償金など関係ないからである。


ただ日頃でもスーバーで何を買っているかなど主婦でも女性は見ている。
自分も今回小高の知っている人がニートでありその人がエチゴを買っていた。
こいついいもの食べているなと思った。
前には電動自転車のいいのを買っていたのもそうである。
ニートだからもともとはぎりぎりの生活でそれは贅沢の部類に入っていたことは確かである。
そんなもの贅沢ではないというのも今は言えるがその人にとって明らかに贅沢になっていたのである。
東京で遊び歩いている老人もそうだった。日頃の生活だったらんなことできなかっただろう。
だから原発事故で得したという人も結構いるのである。


ただ今までも相馬市の人はスーパーで避難者が高い買い物をしていることを何回も言っていた。
そして批判していた。働いてほしいほしいと何回も言っていたのである。
だから相馬市でも飯館村とかはあまり責められないにしても補償金がかなりもらえから
そこで回りの人はぎりぎりで生活している人もいるから嫌われる。
それで飯館村の人をトマト農家では雇わず津波の被害者を雇ったというのは別に冷たいことでも何でもなかったのである。十分に補償金で暮らせるからである。

相馬市と原発避難者の対立は南相馬市よりひどいかもしれない、
南相馬市でも鹿島区に住んでいる小高区との対立は深くなっている。
あいつらはたんまり補償金をもらっている。こっちはもらっていない、
そしてなんであの人たちは遊び暮らしているのか、そういう不満が大きくなっている。
ただ鹿島区の人も今は働いていない人が多いが小高区の人より働いている人も多いだろう。


そもそも復興というとき外部から来た人たちの力に頼っているのが現状である。
復興住宅やその他の復興事業もほとんど外部の力に頼っていたのである。
だから復興というとき、何か地元の人がみんなで協力して一つの建築物でも建てたとき
何か復興したという満足感が得られる。そういうことが今回の被災地にばないのである。
そんなことできとないということもあるがやはりみんなで何かしら
復興に尽くしたということがないのなら復興の業績はただ外部のものだけにあったとなる。
そうなると復興したのは外部の人たちであり地元の人はその時遊んでいたんだよとなり
子孫にそのことを語ることもできないだろう。
津波原発被害では地元の人はただ遊んでいただけだよ、何の苦労もしていない、
感謝するのは外部から来た人たちでありおじぃちゃんやおばあちゃんでもなかったんだよ
そんなことを子孫に言われることになるかもしれない・・・・


相馬藩の飢饉の時は越中などの人が移民して救われた。
それは歴史的に評価されているし語り継がれている。
それも外部の人たちだったとなるがでも地元に根付いて地元の人となったのだからまた違っている。
その時は残った地元の人たちも苦労したのである。

いづれにしろ原発避難者はこれからはさらに外部であれ内部であれ風当たりが強くなる。
今までのようなかわいそうな人たちとも見られるなくなるかもしれない、
何で遊んでばかりいるんだとか批判が強くなる。

それは今までは表だってはあまり言えなかったが抑えられていた感情が露にでてくるかもしれない、
そうなりつつあるからやはり今までのようなかわいそうな人たちという感覚ではこれからやっていけなくなるかもしれない、
それは南相馬市でも相馬市でも内部でもそうなってゆく。


原発避難地域の現状の矛盾

(補償金で働かない地元の人と外部の人が喧嘩!)
http://musubu2.sblo.jp/article/61677034.html

これを書いたのは2013年1月だった。それから一年またすぎた。
そしてまた状況が変わってゆく、あのころあそこの仮設の食堂は客でこんでいた。
今はめっきり減っている。それが一年前だとは思わなかった。
あのころはまだ外部から入ってくる人が多かったのだろう。
3年目になり外部からくる人は激減しているかもしれない
ただ復興住宅など10年もかかる仕事かもしれない
それだけ復興は長くかかる。
だから外部の力は以前として必要である。
しかしそれもどんどん減ってゆくことは確かなのである。

posted by 老鶯 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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