認知症の姉の騒がず穏やかに庭に石一つ冬の雨ふる
どういうわけかしらないけどやけにおとなしくなってしまった。盗ったとも騒がないし感情的に穏やかになっている。今までの騒ぎが嘘のようになり気のぬけたようにおとなしくなっているのも不思議だ。認知症の中核症状はもの盗られ妄想である。これは何度も書いてきたけどこれは抑制できないパニック症状だから薬でも飲ませるとか拘束するとかしか対処方法がない、それがないと認知症でも極端な物忘れとか計算できないとか銀行のことがわからないとかあるがそんなに困ったものにならない、それ意外は普通の人と同じに見える。老人は物忘れしてもそれは異常ではない、認知症は物忘れが極端だから異常にしても人間的にすべてがわからない人になったわけではないから異常に見えないのである。顔も一目見ただけではわからない、普通の人と同じ顔しているのだ。一時顔まで歪んでいたのである。
そもそも認知症とは何か医者すらわからないのだからこれは今も謎である。ただ中核症状から波及する周辺症状は対処によって抑えられる。その人の気分のいい状態にしてやればおとなしくしているのだ。ただこれは誰かが犠牲となったりするからむずかしい。できない人をたてたりできる人のように扱いないからである。いづれにしろこの病気と苦闘した二年間だった。認知症でもこんな状態だったら楽である。三食用意していればあとは文句も言わないからだ。極端な物忘れ症状は残ってもそれだけなら介護に困ることはほとんどないのだ。だからこの病気は一体何なのか未だにわからない、脳が損傷したらもっとひどくなり暴れたりして手に負いなくなっていた。それがやけにおとなしくなった、つまりもの盗られ妄想が消えたのである。これでわかるようにもの盗られ妄想は消える。暴力もおさまる。ただ中核症状の極端な物忘れやその他の知能の低下は以前として残る。でも何もわからなくなるのとは違う、大人としての見識をもっているし通じるのだ。それが全部とは言えないにしてもこれが前からも不思議なことだったが今でもそうである。
認知症はその家庭とか回りの対応によって非常に影響されるものではないか?簡単なことができなくなったとか計算もできないとかいろいろな知能の障害がでてきてこの人は馬鹿になったとか回りでしかったりおとしめたりある人は息子が嫁の前で殴ったりとかひどい対処の仕方をしている人がいる。そうしたから確実に悪化する。プライドは以前と同じように持っているから正常なときと同じように扱ってもらいたいのである。それができないと暴力となり攻撃してくる。だから対応が誤ると悪化するのではないか?今の状態を見るとそうである。私の家ではその人のいいようにしてきた。失敗しても何してもとがめたりはしない、確かに何回かは頭に来て私も怒り狂ったがあとは困ったことを言わない、そして毎日朝にお湯を沸かす必要がないと言ってもわかすので沸かすなと言ってもわかしてしまうのでガスコンロをわかさせないようにするほかなかった。でも今度から沸かさないようにするからと・・・しおらしげに言っているのを見て悲しさを感じた。自分ではするなと言ったことをしないようにしているのだがそれができないのである。それが病気なのである。
ともかく二年間認知症と苦闘してみてこれほど不思議な謎めいた病気はない、これは人格の全体の知能全体の破壊ではない、人格は前と変わらないし性格も変わらない、知能も確かに銀行のことがわからないということは余りにも極端なことだから驚愕した。でも全体の人格とか知能とかが全部だめになったのではない、人格は保たれているし大人としてわかることはわかる。大人として全部ではないにしろ通じるのだ。自らも自分がどういう状態になるのかをわかっている面がある。全部ではないにしろわかっているのだ。だから中核症状は残っているにしろもの盗られ妄想が消えたことは精神に非常にいい影響があるし穏やかになるしいちいち盗られたとか騒ぎ自らも苦しみ回りもそれにふりまわされることがないから楽になったのである。対処方法がよければ中核症状は残るにしてもこのようになるのかもしれない、ただこれからどうなるかは予測できない、もし脳の損傷だとしたらまた悪くなる。そうでないとしたら精神の病でありもの盗られ妄想などは消えることは確かである。
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