2014年01月17日

南相馬市の将来はどうなるの? (誰を選んでいいかわからない南相馬市長選挙)

 

南相馬市の将来はどうなるの?

(誰を選んでいいかわからない南相馬市長選挙)

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今回は誰がいいのかわからない、前回は桜井氏が渡辺氏を批判して当選した。渡辺氏は何か自民党の古い体質をひきづっていた利権構造の中で生れた市長とか言われた。
だから立派な図書館など必要ないとも言われた。高校生のたまり場になるだけだとかも言われた。現代ではインターネット化してモバイル化しているから図書館の役割も問われていたからだ。ここ七年間図書館には行っていない、前は調べもので行っていた。
図書館は調べるのにも時間がかかり手間だからできなくなった。
インターネットのようにキーワードで調べることなどできないしいちいちコピーするのもめんどうなのである。ただ郷土史関係では図書館にしかないものがある。


こうした利権に対して批判する人も多かった。かといって政治に利権はつきものだし利権から離れることはできない、自民党型の政治家だったなのだろう。桜井氏はちょうど政権交代した民主党型の政治家だった。理論化だったけど現実の政策実行では手腕を発揮できない、決断できないと批判された。自民党に民主党が崩壊寸前に敗北したのとにている。渡辺一成はそういうタイプなのかもしれない、70歳であり体力に問題がある。
桜井氏は小柄なのだけど体力には自身がある。あの年でマラソンしているというから驚く。65歳の横山氏は何か老けて見える。何か老人になるとやはり外見を気にする。
あの人は老けたなとか女性でもそうである。横山氏は白髪が多いし額に皺がかなりよっている。渡辺一成氏もやはり体にバイタリティが感じられない。体力的には小柄だけど桜井氏が一番あるみたいだ。政治は体力ではないけどそういうものも影響するかもしれない、ただそんなことで今回決めるのかとなるとか自分も未定でありわからない。
この人がいいというのはいないし何かそれはみんな共通している。


渡辺氏が経験者で無難で堅実でいいのかとなるのかもしれない、他になかなか選択がない。横山氏はどういう人なのかわからない。桜井氏は今回の津浪原発事故の処理で実行力がないと盛んに避難された。ただ外部に対してのメデアに対してパーフォーマンスだげが目立つ。ただ渡辺氏のように利権構造の政治家でないから悪いことはしないはという評価もネットで語られていた。それは民主党と同じなのである。自民党のそうした旧来の利権構造の政治を批判して政権交代できたのである。でも結果は大失敗だった。

ただ自分自体が政治に疎いしこんなことを言っているのはネットの地方版で読んだだけの知識くらいしかないから正直語れないのである。

ただ今回の津浪原発事故のような大異変があったとき、こうした老人ばかりの政治家で果たして市を引っ張っていけるのかという疑問である。すでに若者は流出して南相馬市は65歳以上の人口は30パーセント以上なのである。高齢化社会が急速に一足早くここに生れている。だからシルパータウンとかの老人特区みたいな構想が出されるのもわかる。
一つの政策として老人が住みやすい、癒しのある市を作るというのも悪いことでない。
それは日本の少子高齢化社会の先取りモデルともなる。

でもそれだけだと衰退してゆく斜陽の市となる。第一こんなに大異変があり変化したとき、それに対して老人だけが指導者になりシルバータウンなどということばかりでは市の将来はないだろう。だから問題は日本全体でもそうだが将来を担う若者が政治でも牽引力を発揮しないと将来はないだろう。
結局は全国でも老人の老人による老人のための政治になっているのだ。
若者が流出している南相馬市では特にそうである。老人票を獲得しないと当選できない、若者自体少ないのだから票田にはならない、すると余計に老人のためにいいことを言うようになるのである。それは全国でも同じである。


ただこの辺ではこれだけの異変があったらもう旧来の発想では市を作れない、例えは農業とか漁業とか林業が壊滅するとき、それらが一割しか全体の生産力がないとしてもやはりそれは自然と直結しているからその基盤となりうる。そもそも水であれ土であれ森であれ放射能汚染されてわかったようにもうその根底を成すものが失われたら汚染されたら住めないのである。確かに今は金があれば広域社会で外から入るもので生活できる。

でも水が放射能に汚染されているとなると飲み水も安心して飲めなかったら誰も住みたくないだろう。田舎ではいくら第一次産業のしめる割合は一割くらいしか寄与していないとしてもやはり自然を基にして生きている場なのである。
だから田んぼも畑もない世界は何なのだと生態系の変化についても書いてきた。
田んぼもない畑もない世界が理解できないからそうなった。
土から離れた郷土史もありえないとも書いた。


田んぼと山は密接につながっている。田んぼに水を供給するから山も崇められていたし先祖が眠る場所とされ田植えの時期には春から下りてくるという信仰が生れた。
そんなものさえなくなったらどうなるのか?そういうとまどいが以前としてあり
実際は未来を描けない混乱の状態はつづいているのである。
津浪や原発地帯を観光地化しようとか外部の人が言うのもそのためである。

漁業とか農業とか林業もない世界を考えられないからである。
ただ一方でそういうことを全面的ではなくても志向せざるをえないものもあるのがこの辺なのである。だから川内村では放射能と関係ない花作りの村にしようとか構想をだしたのである。

自然は全部放射能で汚染されたわけではないからだ。目に見えないものだから何が汚染されたのかもわからないのが放射能汚染だった。
ともかくこの辺の自然はもともと図にかいたようにシーサイドとマウンテンサイドゾーンに別れていた。その中間が平地でありシティでありタウンゾーンになっている。

自然の地勢はこのように別れていることは今でも変わりない、海も山もあるからサイクリングするには気持いいとかなる。海風が気持いいからである。山もまた陽が沈むとき趣がある。つまりSUNSETZONEになるのだ。実際は橲原から橲原渓谷の上流をたどってゆくとそこはまだ人も踏みいらぬ秘境がある。丸森にもあったがここにもまだある。

そこには石が岩が主のようにあり神秘的な花が隠れるように咲いているのだ。
飯館村はさらに実際は隠された村であったし隠された地域が山の裏側にあった。
自然がその光が陰影を深めるところが隠されてあった。ただあそこが道になったときがっかりしたのである。今になると道など作らねば良かったともなる。
飯館村は何か原始の状態に逆戻りしてしまった不思議がある。


こうして自然が別に全部消えたわけでも汚染されて見る影もなくなったということでなはい、だから以前として自然から構築される市作りがイメージされるのである。
ただそれをまだまだ具体化するには時間がかかる。あまりにも変わりすぎたし田んぼや畑のない世界がイメージできないからである。そういう世界をイメージする力は老人にはないかもしれない、あまりりにも変わりすぎてできないのである。
でも今や何らかそうしたものを発想して作り出すことはこの辺で強いられているのだ。それは市長選挙に出た人にはとてもできないと感じる。すでにみんな老人だからである。老人は今までの経験からしか発想できないからである。


ただこの辺はシーサイドゾーンをとうするかち、マウンテンサイドゾーンをどうするかシティタウンゾーンをどうするかという発想になることは変わりないだろう。そういう地形は変わっていないからである。ただ簡単には全体の構想をビジョンを作ることはかなりむずかしいのである。

soma united map
http://musubu2.sblo.jp/article/47296740.html

posted by 老鶯 at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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