2014年01月14日

茜雲(茜のような田舎の老いた女性のこと)


茜雲(茜のような田舎の老いた女性のこと)

nosuri777.jpg
クリック拡大-七羽のノスリが集まる

陽の没りて夕月光り茜雲
冬の野に七羽集まるノスリかな
枯芒今日もこの道行き帰り


仮設の食堂を2年間働いていた60代の女性がやめた。ほとんど賃金は支払われなかった。ボランティアではないと怒っていた。福祉でも働きに応じた賃金は払わないと違反になる。差し引くのは市役所の方であり働かせている方ではない、あそこの店はもうつづかない、客もめっきり少ない、ただ主人が店に威張っているだけである。主人はなにもしない、ただふんぞりかえっているだけである。あんなのだからただ働きさせていた。
まず小さな店でも一人ではできない、働いていた女性は得難い人材だった。
あういうマスターの場所では働く女性はいないと言っていた。親戚の女性も働いていたが今は働いていない、嫌がってこなくなったというのもわかる。
結局経営は人を大事にしなければ人の協力を得なければ成功しないだろう。
働いていた女性の言い分が最もなのである。
ただ大きな会社で働く人はまた違っている。店のものを盗むとか大きな会社になるとまた違ったものになるだろう。社長は社員を信用してはいけないとか言う人もいる。

とにかくいかに社員でも何でも盗む人が多いかである。

それが一番雇う時問題になる。それで自分は大失敗した。
家ので働く人はよほど信用がないと入れてはいけない、これは会社とは違うからだ。
そういう人材を得ることは簡単にはできない。
小さい店とか会社だと会社は家族のようになる。大きな会社とは違う。

だからあのような暴君のような男性がマスターではとても店ははやらない。
威張ってばかりいたというとき、自分の母方の祖父にあたる男性も警察署長でありその後退職して機織り工場を経営したけど失敗して家族離散になってその子供は塗炭の苦しみを受けることになった。「威張ってばかりいた」というとき警察署長の時もそうであり機織り工場を経営していた時も威張ってばかりいて何もできなかったのだろう。
家族でも社会でもそういう人はいるのだろう。
自分は祖父といっても会ったこともないから客観的に今評価する。


人材ほど人ほど大事なものはなく得難いものはない、それはここ7年間の苦労でみにしみた。家の中を荒らされて大きな財産を失いその後も自分の家の混乱と自分の病気に乗じてとれだけ苦しい目にあったか書いてきた。人間はこんなに非情なものかと思った。
あとで知り合った人は有能な面はあったが非情だった。
今度知り合った女性は違っている。

それは猫が子を生んだ時、かわいそうだけど捨てるからなと親を見て言うと納得したとか言うのが不思議である。猫についてはいろいろ語っている。捨てる時は民宿のようなところに捨てるという。余り物が豊富だからだろう。
最近野良猫が来るので餌をやるが一旦野良猫になるとなれない、餌が欲しくても距離を保ってしか近づいてこない、近づくと襲いかかるように口をあけて警戒する。それは見ていると怖い、結局飼い猫の時はあんな様子は見せなかったろう。野良猫になりうろついては追い出されたりして人間を警戒してなつことがなくなったのだ。
ただもともと飼い猫だから家の中に平気で入ってきて炬燵の中に入って寝ていたりしていたのである。あれも飼い猫のためだったのだろう。

ともかくその女性の語ることを聞いていると情のある女性だということがわかる。
だから一人の男性は親身になっていろいろ相談にのっている。今日も電話をかけたのが宮城県であり市役所の男性だった。いろいろアドバイスしてくれる。

何か人に頼むのがうまいのである。ただそれは言葉ではない、心がいいから男性も親身になってくれる。
その女性は女性とは見えない、若い時も体の体型が何かぶさいくである。顔はそれほどでもなくても体が太っていて体型が不細工なのである。だから若い時だったら男性も魅力を感じたとは思えない、ただ今も十歳老けてていも話すことが面白いのと心がいいということでその女性は男性に協力させる。それは若い時のとは違う。


ともかく人間の孝不孝は本当は金では計れない、その女性は貧乏だけど男性にたすけてもらえる。それは美人では全くない、その女性がもっている別な要素がそうさせている。
すでに10歳老けていて皺が多く女性にも見えない、でも60代以降は実は女性でも男性でも価値観が変わる。外見よりその人のもっている内面の方が大事になる。
だから年取ってから若作りしてもそれがいいとは限らないのだ。
つまり年になると別な方の魅力に価値がでてくるのだ。それは肉体の若さとか外見ではない、その人のもっている心の良さとか話が面白いとか何か別な人間的魅力である。

だからいくら金を得てももっていてもそれだけで価値は生れない、確かに日々の生活は金なきだけど金をもっていただけでは価値は生れない、別に美人でもなく年が十歳老けていても体が不細工でもその女性のもっている価値があるから男性に助けられる、だからそういう女性も金がなくても幸福だとも思った。
一方で金があっても不孝な女性はいる。性格の良くない、話も面白くないとなると年取ってから体とか顔とか外見ではない価値が大事になる。
その辺を女性も勘違いしているのだ。若作りしてももはやそこには価値がなくなっているのだ。若い時と年取ってからの価値観は180度変わることがありうるのだ。
そこにまた人生の誤算が生れるのである。


茜雲というとき寒い中にほんのりとは赤くなる雲であり何かこの女性のような感覚にもなる。寒いんだけどほんのりと赤いものがある。そこ冬の月が光りでている。


ノスリが七羽も集まったのはめずらしい。七羽はこの辺ですみついたのである。何かネズミでもいたのか?畑にはモグラもでているしノネズミもでている。それは畑をもっているとわかるのである。土が掘り返されたからでてきたのかもしれない、だからそこに集まってきたのかもしれない、セキレイまで集まっていた。地中から虫などがでてくるのかせしれない、まだまだ寒さはつづく。


「あかねぐも」(茜雲)とは、朝日や夕日を浴びて茜色に照り映える雲のことです。朝日に限って言うと、東の方が赤くなるので、「東雲」(しののめ)といいますね。「あかね」というと、よく女の子の名前にもつけることがありますが、本来は、アカネ科の蔓性の多年草で、晩夏、多数の淡黄緑色の小花を円錐状につけます。その根は赤い染料に使われたり、薬用に使われたりします。ですから、「あかね」は、赤根からとった言葉です
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2006/03/post_206.html


茜は西だから西の雲が赤く染まることでもある。朝日で染まるのはまた違っている感じがする。茜雲は今の時期何度も見た。ほんのりと赤くなる雲である。
自分のあった女性がイメージされる。それは恋愛関係とか全く関係ない、茜は赤根であり何か赤い大根とかでもあり蕪とかもイメージされる、田舎的なものがイメージされる。
「あかね」とは女性の名前としてもいいなと思った。

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