2014年01月03日

円山応挙の松と鶴の絵(賀春にふさわしい絵)


円山応挙の松と鶴の絵(賀春にふさわしい絵)

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今年こそ平和なれこそ鶴と松


常磐木の松こそよけれ優雅にも辺り乱さず鶴の歩みぬ

松が根の大地に根づき離れざる幹太しくも年を重ねぬ
厳かに雪にたわみし松なれや幾歳ここに動かざるかな
隆々たる松にしあるかな新年に興隆願う我が住む地かも

松と鶴穏やかにあれ日の本の国に生きゆく幸を知るべし

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丸山応挙の松は松というものの特徴を巧みに描いている。迫力がありやはり傑作である。こういう絵は日本人しか描けないものだろう。日本はいたるところに松がある松の国だからである。松の面白さは真っ直ぐでないことである。幹もくねり枝もくねりそれが人間的でもある。松は極めて人間的なのである。一個の人間に見えるから親しいものとなる。
雪にたわむ松も何か人間に見える、真っ直ぐでないから人間に見える。
くねり曲がりつつ人間が耐えているという感じにもなる。
幹にしても重厚であり松の姿を巧みに現している。分厚い忍辱の衣のようにも見える。


「忍辱の意味」

つまり「私が受ける災難は私への指名」であって、誰にも代わってもらえない、と確認するのが「認」、すなわち「忍」と同じ意味になります。
確認できれば、歯を食いしばってではなく、納得して耐えることができるでしょう。

http://buddha.kokaratu.com/08.html

人間の苦しみはその人だけが受ける苦しみであり誰も引き受けてくれないという。苦しみはそういうものなのかもしれない、自分も全く自分の苦しみを理解してくれた人がいない、自分が苦しんでいる時かえってかえって火事場泥棒だ、借金の要求だ、自分に対して何かと苦しい時に要求してきたのである。人間は人の苦しみを理解しない、かえって人が弱る時、チャンスとなり攻めてきて自分の欲望を先行して責めてきた。
人の苦しみを全く思わないでただただ自分達のことばかりを要求してきたのである。
まず病気のとき相手のことなど思う余裕がない、でも自分が苦しんでいるときそんなことは一向にかまわない、自分たちのことのほうが大事だからそうしてきた。

そういう勝手な人間とは縁を切った。ただただ自分のことしか考えない、他人は自分の欲望を満たすものでしかないのである。それは病気でも同じだから人間は残酷なものだと思った。人間の苦しみは誰も代わってくれないというのは確かにそうなのだろう。
ところが借金している人はその人自身が作り出した難なのに他者にまた借金を要求して責任を肩代わりさせようとする。それは自分が作り出した難であり自分で解決しろとなるがそうは思わない。他者を責めてくるのである。
ともかく人間ほど勝手なものはいない、人間は自分のことしか考えない、そもそも相手の痛みを知る人がいないから人の苦しみは自分自身しか耐えるほかないとなる。

ともかくこの六年から七年間は苦しみの連続だった。それは内も外もそうたったのである。自分自身にも外でも津波だ、原発事故だと災いがつづくのは何なのだろうと思いつづけたのである。災い明らかに人間によってももたらされた。そして災いは自然によってももたらされた。両方が一緒になって災いは災いを生んだのである。
なぜこれほどの災いが自分にまた自分の回りに生じたのか?その原因は何なのかと思いつづけた。仏教なら何らかの原因があり結果があると説く。やはり人心の乱れも自然に影響して津波のような大災害も起きた。なぜ漁港が壊滅状態になったのか?それはあまりにも震撼とする恐るべきものだったのである。言語を絶する恐怖だった。だから漁業にたずさわるものの天罰だったとか言われるのもそのためである。
原発事故にしてもそんなもの建てるなという自然から神からの警告だったかもしれない、現実そういう結果になっているのだ。


円山応挙の時代は平和な時代だった。鶴もいたし自然と調和した生活だったからこのような絵も生れたのである。鶴はいたるところにいたのだ。鶴の歩みは優雅である。鷺もそうであるが鶴はやはり鳥では白鳥とならんで最高の吉兆の鳥なのである。
それは日本の松と調和していたのだ。円山応挙の松は南相馬市の原町区の泉の一葉松をイメージさせる。やはり江戸時代も国風文化が充実した時であり現代も欧米文化から国風文化へシフトする時代になっているのだ。
正月という言葉にしても正道とか正のつくのはもともと仏教に由来していた。
正月というのもそういう言葉の由来がある。身を正す月なのである。
大和言葉では睦月(むつき)だからむつみあう年である。現代で一番欠けたものが人間が睦み合うことがなくなったことである。江戸時代がみんなよいとは言えない、でも江戸時代は人々は睦み合っていた、それは自然ともむつみあっていた時代だったのである。
そういうものが必ず芸術に反映されている。円山応挙の絵でもそうだったのである。

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