南相馬市の鹿島区の花屋の正月飾りを買った
(和洋折衷で良かった)
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鹿島区の花屋
南相馬市鹿島区の花屋の人がこの正月飾りをアレンジした。
これは傑作だと思った。
竹の器がいいのと菖蒲の紫やボタンがしっとりとして正月らしい落ち着きがある。
一方でチューリップの蕾はこれから花開こうとする若さを示している。
それが調和している。
花には何か精神的象徴であり意味を読み取ることである。
このアレンジはだから正月に向いていた。
新しいフラワーアレンジである。
普通はチューリップは和風にはとりいれないけど
これは未来をこれから花開こうとする未来を示していた。
この花は開くけど蕾が良かったのである。
花は蕾がありそして開くという段階がありそこに生きている花の良さがある。
造花には生きている花ではない、花は蕾がありそして開き枯れてゆくのである。
花も短いが一つの命なのである。
この花屋は小さいけど花屋はフラワーアレンジメントができないとまた花や植物に詳しくないとできない。
誰でも簡単にできるものではないだろう。
ただスーパーのように墓に飾るだけの花なら何の技能もいらない、ただフラワーアレンジメントになると花や植物に対するセンスが必要になる。
花の技能検定資格があり二級をとっているというのもそのためなのだろう。
今はまずスーパーとかに対抗するにはそれなりの技能やセンスがないと店はやれない
同じだったら安い方がいいとなるからだ。
前も相馬市の駅前の花屋のことでいろいろ書いた。フォトブックも作った。
あそこもセンスがあり花に詳しい。ただ夏の内は行ったあとはいろいろな問題が起きて行けなくなった。
花屋は店で個性をもつことができる。
フラワーアレンジメントはその店の主の独特のものを作れるからである。
それは店によって店の主人にとって違ったものになるからだ。
あそこの店ではこんなものを作った、向こうの店では別なフラワーアレンジをしていたとかなり
それぞれの個性があり店を回ることが楽しくなるだろう。
ただフラワーアレンジメントは金がかかる。
だから普通の人はしない、男性でしているのもまれだろう。
自分はもともと花は詩にしたりしてずっと興味をもって追求してきたので
フラワーアレンジメントの世界に最近惹かれたのである。
要するに人間は金をもっていてもそうした自分なりの感性や鑑賞力がなければ金も使えないのだ。
ものを買うにしてもそれに詳しくならなければ買えないのだ。
そしてわかったことはオランダでフェールメールなどの絵画が興隆した時期は貿易で栄えて裕福になった時だった。
だから絵画の需要が増えたのである。需要が増えればやはり絵画の注文も増えるし画家も腕を競うようになる。
チューリップに異常な値段がついたのもチューリップバブルになったのもこの時期だった。
花屋でもこうした裕福な人が増えれば花が高くても売れるのだ。
でも花は何か高尚でもあるかもしれない、フラワーアレンジメントになるとなかなかやる人は少なくなる。花を見る目がない人はしないだろう。
花を見るということはその花を見る心が大切になる。
花を見るには純粋な曇りなき心が必要になってくる。
だからまず野に咲いている花を見ることが鑑賞力をもつことに通じる。
野の花はそもそも無料なのである。野に咲いている花こそ花本来の美を映えさせるのである。
ただフラワーアレンジメントも花の個性をそれぞれ際立たせるものだということを知った。正月用の飾りもそうだったのである。
花の世界も相当に奥深いものがある。
花の種類が多いからそうなる。今は外国産も入ってくるからバラエティにとんだものとなるのだ。
やはり日本はこれから成熟社会になり文化興隆の時期になるのだろう。それは国風文化の回帰だがその前にはこれだけ西欧化したのだから国風欧風文化になる。
その一つがこの正月飾りにもあったのだ。普通はチューリップを取り入れないからである。日本風な花がメインになるのが普通だからである。
今年の希望としては詩集を別に作りたいということがある。これは詩集の部をプログに作ったが三つを同時にやることはできなかった。詩集は別に本のようにして出したい
連作したものがあるからだ。
ともかく新年おめでとうございます
今年もプログをかき続けますのでよろしくお願いします