2006年06月09日

薔薇(墓の語るもの−夏草の句の感想)

今日も行く嵐に耐えて赤き薔薇

嵐のなかに薔薇が赤く咲く、嵐の中で赤さが映える、嵐のなかで懸命に生きる、赤い色は嵐に抵抗して咲く赤である、文学はみんなその生活の反映である。苦境でも一層赤くさく薔薇になる。嵐にうたれながらもさらに赤い薔薇は赤くなっているのだ。

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なぜ私は墓に興味をもつのか?それはなぜ墓というのはあまりにもひっそりとして一般的にはめだたない、忘れられている、それで心ひかれるのだ。昔の墓は一般的に粗末な石に簡単な文字を刻むだけなのが多い。江戸時代には庶民には姓がないのだから墓をもっていた人も少ない、明治以降やたら墓はふえすぎたのだ。西山家でもあとをつぐべき人が別な姓になっているから西山家は複雑になった。姓が無数にふえた結果、墓もふえすぎた。そして墓の跡をつぐ人がいなくなる。墓は勝手に廃棄することができないからまた困るのである。

墓にもいろいろある。立派な墓もあるし粗末な墓もある。今回でも草に埋もれて忘れられていたような墓にひかれたのか?まずその墓に注目したのは自分だけではなかったか?たまたま隣から茎の太い葉が繁っていてそれを取り払っていたらその小さな墓をたまたま目にしたのである。そこは掃除もしない無人墓になっていた。そしてその墓に埋まっている人も忘れられていた。この墓の主がどういう人だったのかわかりえようがない、それは男と女だけの二人だけの墓であることは間違いない、一族の墓ではないのだ。一族の墓だったら家族の名前がもっと記されている。こういう墓は別に他にもある。墓というのは忘れられてしまったものが多い。それは何を意味しているのか?これも人間の無情を無常をはかなさを意味しているのだ。

なんらかもっとこの世に残すべきものがあるはずなのだか実際は死んでしまえば粗末な石と名前しかないのだ。これも生きていてあったらその人はいやな奴だったかもしれない、しかし死んで粗末な石の下に物言わぬ人ととなって草に埋もれてしまったとき言い知れぬあわれさを感じてしまうのである。ある墓は戦争の功績を墓の全面にこれでもかこれでもかと文字を彫りつけていた。供養のためとはいえなんかいやな感じがした。こういう墓はかえってこの人はどんな人だったのだろうかと知りたくなくなる。かえって前にも書いた亭年31才戦死と一行ひっそり書いてあるとあわれを感じるのである。ただ墓があってもその墓に埋まっている人の素性とかわからないと墓の意味も見いだせない、今回でもこの草に埋もれた墓の主はどんな人なのだろうと思ってみても皆目わからない、ただ明治という時代だけがわかっただけである。

それでも夏草に埋もれたということで俳句になった。「降る雪や明治はとおくなりにけり」の明治であるが明治は日本の歴史にとって実り豊かな時代だったのだ。明治という時代は日本の歴史の中では万葉集の奈良時代とかに比する国風文化と西洋文化が栄えた記念すべき時代だったのだ。大正−昭和−平成は明治という一時代を築いていない、日本が統一した感覚がない、かえって日本が戦争に突入して賛美できない時代感覚になるのだ。

「夏草やつわものどもが夢の跡」というと芭蕉が江戸時代の初期に作ったのだがこれも500年くらいたってこの句を作ったことの不思議である。なぜならその当時の戦いをなおリアルに感じていた。500年たってもそういう感覚がもてた。つまり百年前明治くらいだったら現代になお通じている、夏草に埋もれてもそれは現代の今の生活と結びついている。これも江戸時代になると結びつかないからだ。

これはやはり江戸時代と明治では余りに変わりすぎたからだ。それは別な世界になってしまったからかもしれない、鎌倉時代から500年たっても日本はそんなに変わった感じないのでそんな句ができたのかもしれない、時代感覚は環境がさほど変わらなければ同じように思えるのだ。環境が余りにかわるとそこは別な世界のようになってしまい違和感が強くなる。現代は余りに環境が変わりすぎたから日本が日本でないような気分になる。それが精神の疾患がふえた原因なのである。


参考
http://blog.excite.co.jp/yonaoshi-seppou/1703160/

ここに心中した墓を推理しているのはすごい、悪役でよくテレビにでてくる人だった、こんな人もプログに書いているからインタ−ネットには発見があるのだ。