2013年12月13日

南相馬市小高区福岡で津波のボーリング調査 (十和田湖カルデラ火山の灰の下から貞観津波の砂を発掘)



南相馬市小高区福岡で津波のボーリング調査

(十和田湖カルデラ火山の灰の下から貞観津波の砂を発掘)


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この図では富士山火山活動と貞観地震は5年後に起きている。すると貞観地震と関連している。それから46年後に十和田湖火山爆発が起きている。これが関係しているのかどうかはわかりにくい、そして慶長地震津波はずっとあとである。
だからポーリングで砂が発見にしにくいのか?時代が特定しにくいのかわかりにくい。



■■■貞観11年5月26日  三陸沖〜九州・貞観大地震(東北大震災と同等クラスあるいはそれ以上?)

陸奥国に大地震 津波

陸奥国、地大いに震動りて、流光昼の如く陰映す。しばらくのあいだに人民叫び、伏して起つ能はず、或は屋倒れておされ死に、或は地裂けて埋れ死にき。馬牛は驚き奔りて或は相昇り踏む。城郭倉庫、門櫓牆壁のくづれくつがえるものは其の数を知らず。海口(みなと)は哮吼えて、声いかづちに似、なみ(驚濤)湧き上がり、くるめ(泝)き、みなぎりて忽ちに城下に至り、海を去ること数十百里、浩々としてそのはてをわきまえず、原野も道路もすべてうみ(滄溟)となり、船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、たから(資産)も苗もほとほと残るもの無かりき。

 京都延暦寺の僧侶によって平安時代に書かれた『扶桑略記』(ふそうりゃっき)の延喜十五年(915年)七月の条に,「915年8月18日の朝日には輝きがなく,まるで月のようだった.人々はこれを不思議に思った.8月26日になって,灰が降って二寸積もった.桑の葉が各地で枯れたそうだ,と出羽の国から報告があった.

 京都は十和田湖から800km離れている.火山灰を運ぶ上空の風の速さは,ジェット気流(西風)で時速100km程度,北風の場合はもっと遅いから,京都から見える水平線の位置で朝日の見え方に影響を与えるためには,噴火はその前日に起こっていなければならない.したがって,毛馬内火砕流の噴火は915年8月17日に起こったと考えられる.
この噴火では50億トンのマグマが噴出した.浅間山の1783年噴火(7億トン),雲仙岳の1991年噴火(4億トン)より桁違いに大きい.十和田湖のこの噴火は,過去2000年間に日本で起こった噴火のなかで最大規模である.
この地震の5年前の貞観6年(864年)には富士山の青木ヶ原樹海における溶岩流を噴出した貞観大噴火が起きている

陸奥国地大震動を十和田カルデラの噴火に関連するものと考えた研究も存在するが[6]、古くから吉田東伍は「流光如昼隱映」は噴火によるものとは限らず、この発光現象は他に原因があるものと考えていた。十和田カルデラの噴火は『扶桑略記』にある915年(延喜15年)に発生したと推定されており、このテフラの堆積物(火山灰)は貞観津波堆積物層(砂)の直上に位置し、貞観津波堆積物と明確に区別可能であり、またこの堆積物が貞観津波によるものであることを容易に識別させる時代考証の指標にもなっている[22]。

小高の福岡でボーリング調査で十和田湖カルデラ噴火の火山灰が掘り出された。その下に砂も掘り出されたからその砂は津浪によってもたらされた砂だという、つまり貞観津浪の砂だったのか?十和田湖火山の火山灰から年代を推測すればそうなる。
でも福岡という地域は海に結構近い。今回は完全に津浪に没した地域である。
小高は駅を越えて津波が街内まで入ってきたことに本当に驚いた。
だから福岡の地点では驚かない、ただ年代的には貞観津波の砂としか考えられないのだ。それよりあの辺は縄文時代海だとすると平安時代も深く海が入り込んでいた。
だから砂が掘り出されても不思議がないともなる。
もっと奥だったら貞観津波の大きさを実感できただろう。
ただ十和田湖火山の火山灰が積もっていたということの驚きである。


十和田火山灰より上位に津波堆積物と考えられる砂層が検
出された.歴史記録から判断すると,この砂層は西暦
1611年慶長津波によるものと推定される.


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火山灰より上位に津波堆積物と考えられる砂層が検
出された.歴史記録から判断すると,この砂層は西暦
1611年慶長津波によるものと推定される.

http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/06_08_03.pdf

この火山灰により年代特定ができる。火山というのも未知であり鹿児島のような桜島げは日常的にか火山灰の被害にあっている。それだけ火山灰はやっかいなものだけど過去には火山灰は肥料のような役目を果たしていた。焼畑農業はまさに人為的に森を焼いて灰を作っていたのだ。


姶良カルデラが吹き上げたAT層は酸性で赤いから焼畑くらいしかできないが、阿蘇や日本アルプスや阿武隈山地の火山灰土は真っ黒で「黒ボク土」といわれている。
滋味豊かで畑作にも使うことができる。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54501093.html


相馬市のボーリング調査でも松川浦からずっと奥で砂が発見された。それは貞観津波のものだろうと言われる。
それにしても不思議なのは慶長津波の砂が相馬市でも小高の福岡でも発見されていないのか?この辺の科学的研究も実際はまだまだなのだろう。砂が発見されなくても砂はありうるからだ。だからすべて科学的研究だけで解明されるというものではない、でも現代は科学的研究が一番信頼される。
ただ慶長津波の砂が相馬地方で発見されない、相馬市の調査でも慶長津波ではなく貞観津波のものだった。


貞観津波の記述で


船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、


船に乗ると助かったが乗れなかった。山に登ろうとして途中で波にのまれて死んだ人もいる。この記述は実際に見た人の証言だった。

津波でもそうだが十和田湖級の火山爆発になるとこれまた想像を絶するものとして日本全体に影響した。とにかく日本は火山が多い、それだけ日本の国土は大陸と違って若いのである。火山があることにより富士山のうよな優美な山ができた。火山国だから日本の自然は作られた。そして地震国であり津波国なのが日本だった。
ただ最近日本の風土的特徴を忘れていたことがある。今回の津波でそのことを思い知らされた。

この調査結果を東電に報告した時は貞観津波の砂ことであり慶長津波のことではなかった。貞観津波の砂は十和田湖火山灰の堆積により特定しやすいということなのか?

貞観時代辺りは地震や津波や火山が続発して起きた活動期である。だから南海東海地震も津波も起きる゛富士山噴火も警告される。自然が何も起きないときは眠っているのではない、巨大なエネルギーを地下であれ海底であれ蓄積しているのだ。だから何も起きていない、地震がないということで安心できないのである。

自然も絶えざる変化なのである。小笠原諸島の西之島kのそばに海底火山が噴火して新島ができたように地球は絶えず海底でも地下でも活動している。宇宙でも活動している。そうした活動を休むことはない、休む時はエネルギーを蓄積しているだけなのだ。土地でも冬には休ませるという、肥料をやって眠らせるという。すると春には土は肥えて実りをもてらす。ふゆはふゆ(ふえる)ことだというとき増える準備をしているのが冬なのである。活動するために眠っているだけなのである。
だから自然が完全に眠る停止するということはないのである。

posted by 老鶯 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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