2013年12月03日

相馬市の成田周辺の地名考察 (焼畑地名は多いけど忘れられた)


相馬市の成田周辺の地名考察

(焼畑地名は多いけど忘れられた)

●焼畑に関する引用



田畑輪換は、近世から近畿の棉作や藍・煙草作の一部で行われ、あらし・あげ田・一作田などと呼ばれた。肥後藩白川流域でも、近世から明治にかけて用水の多寡に対応した田畑輪換があった。


それは、「畑成田」「田成畑」「ゆうれい畝」など「水入り畑」と呼ばれ、圃場に湛水後直播(バラ播き・条播)するもので、高谷好一は畑作型稲作と位置付けている(『コメをどう捉えるか』
http://www.geocities.jp/kirino3330_ns/ry2-yamatokawa.htm


姶良カルデラが吹き上げたAT層は酸性で赤いから焼畑くらいしかできないが、阿蘇や日本アルプスや阿武隈山地の火山灰土は真っ黒で「黒ボク土」といわれている。
滋味豊かで畑作にも使うことができる。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54501093.html


そこで奈良田の人々は畑作を中心に自給自足の生活を営んできました。畑作にはカイト(普通
畑)とアラク(焼畑)がありましたが開墾する土地が少ないので、主に山々を切り開き焼畑農業
で生計を立てていました。奈良田の焼畑農業では主にアワ、ソバ、アズキが作られました
http://www.city.hokuto.yamanashi.jp/komoku/manabu_asobu/kanko/pdf/83687900561.pdf


青森や秋田・岩手の地方ではアラキ、東日本ではノバ、アラク、カノ、カノウ、サス、ソウリ、ナギハタ、ムツジ・・・  西日本ではキリハタ、ニシメ・・ 九州に多く見られるのはコバ、アラマキ、カンノ、キーノ・・などじつに様々である。
http://www10.ocn.ne.jp/~sobakiri/yakibata.html


ソバ・アワ・ヒエ   豆類:大豆・小豆    トウキビ
 里芋・カライモ      コンニャク
 大根・カブ         ミツマタ(和紙の原料)

一年目は大豆二年目は粟、三年目は大豆四年目が粟、五年目が稗、六年目になると地力が劣ってくるのでソバをまき、それ以後は畑として使うことを放棄してしまうことがある。それは遠隔地のために肥料の運搬が困難なためである。放棄してしまうことを「ソウリしてしまう」という、そうした畑を「ソウリ」と呼ぶソウリには萱や柳が自然に生える、しかしいい木は生えない、ソウリが立派な山林になったことはない。


北上山地の焼畑、畑作習俗-金野静一(ここは一番詳しい)
http://iwate-minzoku.jp/info/pdf/minzoku8_9.pdf


毛野王国の支配下にあった阿武隈や相馬は焼畑と深い関係があった。入野というのが毛野の名前の起こりであるからだ。相馬という名自体、相馬氏の移住地名でもソウリであり焼畑地名だった。焼畑の民が先住民であり阿部がアブであり阿武隈になったという説があるごとく阿武隈高原には焼畑をしていた先住民がいてそこに物部氏などの水稲技術をもった人が入植してきた。鹿島町の真野の真野明神の萱野姫を祀った所も焼畑の神であろう。そして水稲の神の飯豊神などを祀った


東和町などの地名(焼畑から田の地名)
http://www.musubu.jp/chimeitouwa1.htm


ここは前に焼畑について書いた自分の文章だったけど忘れていた。結構詳しく調べていたと感心しているのも不思議である。



●水田の前は焼畑が日本を覆っていた


焼畑は今は何なのかリアルにイメージできないけど水田の前は焼畑が日本中を覆っていた。だから焼畑の地名は日本の基盤の地名として形成されている。意外なものが焼畑由来なのである。飯館村の佐須でも比曽もそうだった。そもそも田になる前の県(あがた)は焼畑が行われたところであった。そこに県主(あがたぬめし)がすみ最初の王が生れた。天皇もここに由来している。


今は水田ばかり注目しているけど焼畑が日本中をおおっていた時代があったのだ。田とつく地名の前には焼畑地名であった。焼畑はなぜ行われたのか、それは肥料を作り安いからであった。焼くだけ肥料が生産されたから楽であった。今でも農業は肥料に苦労している。農薬が大量に使われている。その前は人糞も利用されていた。一方水田は肥料があまり必要がない、水の管理で米がとれる。つまり焼畑と水田では相当な差があり文化の差も作り出していた。十五夜の風習は焼畑からきている。それでサツマイモなどがささげられる。それは万葉集にも残っているように野の芋である。これはイノシシでも掘り出して食べている。縄文時代から焼畑は行われていた。


すめるき(皇祖神)の神の宮人ところづら(冬薯蕷葛)
   いやとこ(常)しくにわれ(吾)かへり見む


こんなところにすでに天皇が関係していたのである。
この焼畑も相当な自然破壊だった。だから放置されたところは荒地となりソウリとはその意味だった。反町とか反田はそうした放置された荒地の場所だった。もう木も育たないというから元の自然が回復しなかったのである。それから森林を破壊するから土砂崩れなどが起きた。その焼畑農耕から水田にして行ったのが日本の農業の歴史である。
日本の食の歴史では五穀が先にあった。米ではない粟であり稗でありソバなどであった。それが山の生活を支えていた。だから檜枝岐などは秘境でありソバしか食べていないという地域があり米を食べるには何日かかけて遠くに買いに行かねばならなかった。
米は贅沢品だったということが日本では長くつづいたのである。


●相馬市成田周辺の地名の解読


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成田というのはどこにでもある地名である。でもただ成る田なのか?なぜ成田なのか明確ではない、田は湿地帯から水田になったものもあるがその過程はまた複雑である。

「畑成田」「田成畑」「ゆうれい畝」など「水入り畑」と呼ばれ、圃場に湛水後直播(バラ播き・条播)するもので


成田には畑から田になったものや田から畑になったものもあある。田を畑にすることもある。「水入り田」というのは水田の最初の名付け方である。水を入れる畑の意味だったのである。その畑とは焼畑された場所だったのである。
だからここの成田がどういう場所だったか、中世になると確かに田んぼが広がってきたがその前には縄文時代とか古代は田んぼはない、焼畑地帯だった。なぜなら宇多川の川岸に北反田と残っている。それはまさに

放棄してしまうことを「ソウリしてしまう」という、そうした畑を「ソウリ」と呼ぶソウリには萱や柳が自然に生える、しかしいい木は生えない、ソウリが立派な山林になったことはない。

一旦焼畑にされた地帯はもともと森林であっても元の森林にはもどらない、あの辺が森林だったとはとても思えないがそうだった。竹内という地名で考察したが竹は今でもイメージできる。川岸には竹とつく地名が非常に多い。ここでも竹の内とか大竹とかある。
今でも川には岸には竹が多い、その竹は大原に住んでいた人に聞いたけど竹は根を強く張るから洪水などを防ぐにいいという、そのことで津浪でも同じだった。前に竹藪があり津浪の勢いがそがれたり流木をとめたりして新田辺りでは被害を大きくしなかった。
大原にも新田川が流れていてその土手に竹藪が多いのである。これはどこの河原でもそうである。だから成田辺りは黒木田という地名もあるように黒木の森が広がっていた。
赤木ともあるし森林地帯だったことをイメージする必要がある。

その森林が焼畑にされてその後に水田に成田になっていった。そのために川岸の北反町というのは焼畑の名残として一画が残っていた地域である。この反町というのは街に近いところにあるのが多いのだ。なぜそんなところにと思うが森林地帯が水田になる前は広がっていたのである。日本では草原には成らず森林になる。この辺が津浪や原発事故で水田が放置されたとき草原になったがそこから木が生えると一部森林のようになった。つまり草原は森林化してゆくのである。


こういうことは想像しにくいのだけど相馬市は城ができる前は周辺は田んぼになっていた。大町とか田町はそうである。その前は成田辺りは森林地帯であり焼畑地帯になっていた。山の方に作田とあるのは作る人が出向いた田なのだろう。また畑ともとれる。
山田はまさに山の中にあり山田でありたかまつはそこは高い丘であり松があり墓地がある。地名どおりの景観が保たれている。
相馬藩で中村に城を移した時、成田は田んぼでなかったかもしれない、焼畑だったとことも考えられる。焼畑は明治以降もつづけられていた。粟や稗は実際に食べられていた。
米は以前として贅沢だったということが農村ですらあった。
いづれにしろ成田辺りが原初には鬱蒼とした森だったり今回の津浪で磯部辺りが奥まで入江になったことをイメージできた。そこにも自然の荘厳な美があったとなる。
焼畑も水田も自然破壊だった。人間の歴史は文明化は自然破壊の歴史だった。そして現代はその自然破壊も頂点に達した。この辺で起きた原発事故はそうだった。最大の自然破壊が起きて住むことさえできなくなったのである。

posted by 老鶯 at 14:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)
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