2006年06月07日

夏雲雀(人間の皮肉−楽園ではボケになる?)



走りつつ左右にひびく夏雲雀

summer skylarks are singing out
to right from left
from left to right
on my running way


自転車で走っていると自然と一体化する、だから自転車にのった俳句とかができる。電車にのれば電車の俳句ができる、一番できにくいのは飛行機である。密室に閉ざされた感じになるからだ。車も運転に気をとられると自然と一体化しない、ただ遠出できるから一旦おりれば別な世界が開ける。この中で一番欠けているのが歩いて感じる世界なのだ。近くは歩いても遠くは歩くことがないからだ。江戸時代までは歩いて感じた世界だから全く今とは違った感じ方をしていた。

最近なんか母方の89歳の兄が死んだとか物入りである。この兄も西山?家の長男だったが訳ありで独身で死んだ、よく独身でこれまで生きたことは感心する、一年くらい病院で寝たきりで死んだのだがそのあとしまつが結構大変なのだ。家がゴミの山になった、ゴミ屋敷になった。いろいろなものを拾って集めていたからだ。これをかたづけるのが大変なことになったのだ。人間残すのはゴミだけかともなる。西山家は跡継ぐ人もいない、その人は長男だったが長男の役目を果たしていないからだ。その墓にうまっている人は知っている、一人は結核で若く死んだ人でありもう一人は私の父の違う兄だが交通事故で死んだのだ。西山家は親が機織り工場を倒産してから悲惨なことになったのだ。もしこれがうまくいっていればみんな金持ちの子としてその後の生活は楽なものとなり違っていた。人間の運命は親によって作られることが多い、これはどうにもならない、それによって加重な重荷を負う人もでてくる。それぞれの運命はどうにもならない、運命を恨んでもどうにもならない、兄弟でもまるっきり違った人生をたどる人も多い。運命は不平等でありなぜある人は恵まれある人が恵まれないのかはわからない、でも恵まれたと見える人が恵まれていたかというとそうでもないのだ。

それは認知症になる人、ボケる人は家族のなかでも恵まれた人だという、おばあちゃんはもう歳だから楽してください、何もしなくていいですよ、テレビでも見ていてください・・・こういう恵まれたおばあさんはボケやすいとなる。生きがいもなくなるからだ。一方鬼嫁とか言われる人にこき使われるような姑はボケないというのも皮肉なのか?共働きだとおばあさんに・・・してくださいとか頼まれ役割が与えられるからボケないという、自分の家でも姑ではないが姑と同じような役目をもった家族にこき使われたように見えたのである。一見家政婦のように奴隷のように使われていたのだ。だから一見ひどいな、楽できないなと見ていた。でも認知症になったのは鬼嫁のようにこき使った方だったという不思議である。こき使った方がボケてこき使われた方はボケなかった。80まで店をやったりその後も家事を中心的にやっていたからだ。人間は何がかわいそうだかこれだとわからない、例えば南国の楽園で食べ物はいくらでもあるから働かなくてもいい、そういう場所に住んでみたいと思うかもしれない、そこは皮肉にもボケやすい、生きがいがなく惰眠をむさぼりボケやすい国だとなる。一方文明を発達させたのは不便な寒い方の地域だったのだ。なぜかというといろいろ不足するし寒いから家だって頑丈に作らねばならないとか自然条件の厳しい場所はそれだけ頭も使い体も使い生活を工夫しなければ生きていけないから文明が発達したのである。

イギリスは寒い土地もやせているしジャガイモ飢饉とかアイルランドではアメリカに移民した。そこで近代の工業化、産業革命が起きたのである。一方あたたかいアジアはむしろ気候的にも恵まれ産物も豊富であり豊かな国だったのだ。だからイギリスやオランダなど寒い国は植民地にしてその豊かな南の国の産物を運こんだのである。窮乏している国は豊かになるためにはいろいろ努力して工夫しないと豊かになれないから文明を起こす、南は努力しなくても豊かだから文明は起こらず支配される結果になったのだ。だから奇妙なことだが人間はあまりに自然であれ何であれ恵まれすぎると自ら努力することも怠り怠惰になりそれは他国からの侵入をまねき支配され奴隷にされてしまうということにもなる。ボケというのもこれとにていたのだ。人間の楽園は決して努力も戦うこともない世界ではない、何かと戦って努力して工夫して創造する世界である。
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