2013年11月30日

冬鴎 (外部の人が働き地元の人が働かないことが問題の継続)


冬鴎

(外部の人が働き地元の人が働かないことが問題 の継続)

長々と町に留まる冬の雲
外部より働く人や冬鴎
ここに棲む老夫婦の顔冬菜かな
 

何望むここに動かず石のごと安らけくあれ冬の日さしぬ

一番星きらめきいでぬ方角を今日見につつ冬となるかな

the one first star
the big one
in the same direction
in winter

今年は仙台に行ったのはついに一回だけだった。電車か通じないとこれだけ外に出るのが億劫になる。介護のためもある。家事に追われ暇なく動いている。
今ここがこういう状態のとき、今までとは見方が変わる。
今までだったら別に一人二人働かなくても遊んでいても嫌でも何かとがめなかったろう。今はこの辺は違う。ボランティアが働いて地元の人がパチンコだとか遊んでいて働かないということで喧嘩になったことでもわかる

つまり外部の人が相当数入ってきている。その人たちが工事や建築関係で働いている。
地元の人は働いている人か少ない、特に仮設に入っている人は働いていない

もう三年にもなるからこうして補償金で遊び暮らすことは許されなくなるかもしれない

イワキでそのことで事件が起きた。嫌がらせが起きたことでもわかる。避難民は補償金で優遇されて働かない、働いている人は地元の人である。ただ酒飲んでパチンコして札びらをきっている。俺たちはたた働かせられている。そういう不満が避難民に対して大きくなったことはわかる。もちろん避難民にも言い分がある。簡単に仕事を見つけられないしできないとかろうじんか多いから仕事などできないということもある。
ただ前から田舎では生活保護とかは目立つから受けにくい、なんであいつは俺たちの金で働きもしないで遊んでいるのたとなる。そういう人を知っている。そういう人は田舎では目立つから何であいつは働かないんだとなる。都会だったら目だたないからわからないから楽である。


こういう状態になったとき、今までとは違う状況が生れた。復興事業で働いているのは外部からきた人たちでありほランティアであり地元の人は少ない、すると外部の人たちから見ると何で働かず遊んでいて俺たちが働く必要があるんだとなる。金をもらっていてもそうなる。金があるから何でもできるというわけではない事情がこの辺では生れたのである。
ただ外部の人が入ってきて事件も起きている。若い女性はレイプされるから気をつけろとか噂になった。どうしても外部の人がこれだけ入ってくると治安は悪くなる。


ただ最近この辺では畑を作りはじめたのが目立つ、だから結構地元の野菜でも出回っているだろう。畑というのは自分も作っている人を知っているが小さな畑でも結構とれるのである。だからたいしたとれないと外から見えても結構とれるものだと思った。
これはいい傾向だろう。それも一つの復興である。放射能汚染していてもやはり外部からばかり買って食べていることはつづかない、特に農家の人は自分で作っていたのだから悔しがっていた。

30キロ圏内で米を作りはじめたところもあった。田畑が前のように作られれば復興が目に見える。

今は冬菜の時期というとき、農家で年老いたふ死んでもそれが冬菜のような顔になる。
この冬菜も去年あたりはあまり見えなかった。今年は明らかに増えていることは確かである。

ただ60代過ぎてくるとあまり動きたくなる。何か動かないでいることに幸せさえ感じる。だからそういう住みなれたところから避難させられた老人は過酷だと思った。

そもそももし避難民が住めなくなったら補償金がいくら高くてもわりにあわない、一億円でも土地を求めて家を建てると5千万とかなるしそのあとどうして生活するのかとなると
仕事があるのかとなるとむずかしい、農家でも少なくて土地があったらこれも補助金がでていたからやれた。では土地もなくなってどうして農家の人は生活するのだろうとかなる。金があってもいづれはなくなるからだ。
避難民でもアフガニスタンの避難民に同調して訪ねたとかシリアの避難民を見たら雲泥の差がある。
食うや食わずであり補償金などもゼロである。今日食べられればいいという悲惨な状態である。
200百万人も避難民になるということか信じられない、人間の社会にはそういうこともあることなのだ。
だからなんであれ国がなくなるような国があんな悲惨な状態になることはさけねばならぬ。
だから明治維新も最小限の内戦でくいとめたことはやはり日本はそういう国の和を作るものが
歴史的に作られていたのだろう。それが天皇というのではなく日本の文化だったのである。

だから今はいいにしてもあと十年とかするとこの辺は外部の人も去り補償金もつづかずかなり困窮する人たちが増えてくるだろう。
何か生産してもそれが売れないということもある。


ただ働く場所、会社かあればそれなりの生活は今はできるようになっているのかもしれない、でもやはり衰退してゆく都市になるだろう。
それはここだけではない、全国で人口減少でそうなってゆく、田舎の仕事が福祉関係の医療とか介護で若い人が働いているがそれすら30年後とか激減するという
そういう場所すら働く場所がなくなる。すると今は看護師でも医者でも介護関係も人手不足で困っているが今度は逆に患者がいない、介護する老人がいないと騒ぐようになるのも不思議な現象である。
老人なんかいらない、無駄だ、税金の無駄使いだと盛んに言われたがもっと老人や患者がいたら俺たちの仕事もあったのになとかなったらこれも世の中の変わり用に驚くとなる。長い目で見ればそんなことをくりかえしてきたのが人間なのだろう。
決して同じ状態は何でもつづかないのである。
いいと思ったことが悪くなり悪いと思ったことがいいことだったと思ったことが悪いことになっているのだ。そういう変化の繰り返しなのである。


最近一番星が同じ方角にでる。冬だから星が強く光る。日本はしめっているから星があまり輝かないので星の文化が希薄である。方角でも星にあまり注意しない、外国では星に注意している。星がいつもはっきり見える、乾燥しているし空が広く見えるからそうなる。星座の文化ができたのもそうである。外国の文化を知ればいかに星と密接な関係にあったかわかる。野馬追いの妙見信仰も北斗七星であり北極星信仰であり方角を知るためだった。

年取ると動かないことが幸せなことになる。動くことは安定しない、不安になる。
だから定住して動かない場所が老人には必要なのである。それが奪われたことは意外と避難民にとって老人の方が辛いとなることがわかるのだ。

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