張り替えぬ障子やあわれ年の暮
一日も家事休みなし年の暮
阿武隈川そいて下れば遠きかも荒浜にいず秋の暮かな
障子がかなり汚れているがこれはずいぶん何年も汚れたままだった。障子をはりかえるのは頼むにしても自分でやるのはめんどうである。だから放置されたままであった。それでつくづくその汚れた障子をみてその障子もあわれだと思った。そして自分もあわれだと思った。二年間家事をしてきて疲れもした。休みないから疲れるのである。
実際介護は料理とか家事の延長みたいなところあるから男は向いていない、そして男は女性のように仲間を作りにくい、女性だったら女性同士仲間を作りやすいから家のことを頼みやすくなるからだ。この句も今までからすると違って生活実感がこもっている。一茶のような句になっている。介護の重圧はそれだけ大きいのである。
昔なる境の松の残りしも空港へ行く夏の朝かな
これは空港ではなく港へ行くだったのである。
昔なる境の松の残りしも港へ急ぐ夏の朝かな
いつも12時出発だった。それでぎりぎりでまにあったりしたから自転車だと本当に遠くなるのだ。最初からその遠さを経験することになったのだ。それにしても山頭火が60才で死んだことは意外だった。あれだけの旅をする体力があったのだからそんなに早く死ぬとは思えなかった。今の年の感覚だと70才くらいになる。旅をつづけてそのつま死んだとなるからかえって良かったのかもしれない、山頭火の旅自体は凄いと思うが作品はいいと思えない、西行や芭蕉や蕪村だと作品がいいからいつまでもその作品について思いはせ新たな鑑賞が生まれる。山頭火には旅自体凄いと思っても作品を鑑賞できないから何か書くこともできないのである。