2013年11月06日

近くに烏崎の人が家を建てた (補償金のことで漁業組合の人たちは地元からも批判される)


近くに烏崎の人が家を建てた

(補償金のことで漁業組合の人たちは地元からも批判される)

烏崎の人が近くに家を建てるというので菓子折りをもってきた。直接会わなかったがあとで近所の人に聞いたら若い人たちだという。若いというとこの辺ではめずらしいとも思った。なんかみなん老人のように思えるからだ。
でも老人だと家を建てるのは長く住まないのだから新しく建てるのに金を使う気になれないだろう。家というのは他の買い物とは違っている。
長い期間使うものだし大金を使うから他の買い物とは根本的に違っている。
長期的なものとしての買い物でありそういう買い物は家くらいだろう。
車でも十年とかもつものがあるがたいがいは短期的なものである。
最近ではすぐに新しいものに家電などは買い換えてしまう。
家とは何か長期的ものとして建てる、最近の住宅は30年ももたないとしても30年でも長いのである。だから家をもつことはその土地に根付いて生活するということになる。
家をもつことはその土地に土着することになる。
賃貸住宅だとなにか一時的に住んでいる仮の宿という感じからぬけられないだろう。


南相馬市では一時土地の需要が増えて値段があがったが低下して上がらない。そのた理由が老人が金をもっていても新しく家を建てることに躊躇する。先が短いから大金を家に使いたくないということがある。若い人なら先が長いからローンでも家を建てるということがある。老人は年金暮らしだから先が長い買い物は躊躇する。ここにも高齢化社会の影響がでている。小さな一軒家でも土地代を入れると3000万くらいになるから家は高くつく。
ただこの辺で常に話題になるのは補償金の問題なのである。烏の人だと金もっているだろうなとなる。前は火力発電所ができてその補償金で大金が入り近くの呉服屋では高い着物が売れて豊かになったとかある。今度は漁業組合に入っていればまた金が入っただろうなとなる。浜通りは火力発電所もあるし原発もあったしエネルギーの供給基地だった。
それで金か会津などより入っていたということがある。
金は運だというとき公共事業などの影響で大金が入り得することが多い。
まず自分の近所がそうだった。区画整理でじけ住宅地になったとき長屋のような家に住んでいた人たちが広い土地が与えられて住宅費用も何千万とか与えられて立派な家を建てられたのだ。それは運が良かったということである。


最近聞いた話では常磐高速道路のために土地を売り大金を手に入れた人が今度は大熊で牛を飼う牧場をはじめたという。そしたら原発事故になった。ただその補償金も牧場を経営しているとなると楽か大きくなる。何億ともらったとかの噂もある。これも公共事業がいいにしろ悪いにしろ巨額の金をもたらすということである。

烏とか右田は船主になっている人が多いだろう。それで右田の人が街内に立派な家を建てたときやはり漁業組合に入っていて金があるのだろうとかなる。実際に相馬総合病院に入院していたとき請戸の人がいて特等室に入っていた。そして家を建てるのだと言っていた。でも今になると漁業組合に入っていた人たちは批判される。天罰だとも言われる。それは地元の人たちが言っているのであり自分が言っているのではない、それは漁業組合の人は東電に漁業権を売り渡して巨額の補償金をもらっていたからである。事故が起きたあとも同じように巨額の補償金をもらっている。つまり漁業組合が一番金をもらっているから批判これるようになった。漁業組合が原発に反対すれば原発は建てられなかった。

それだけの権力を与えられていたのである。ヨーロッパには漁業権はないという、漁業権は大きな権利だったのである。でも海の資源を守るならいいが原発事故では海は汚されて漁師自体が海でとれたものを食べられず買って食べているという不満がある。それは田畑で自家生産しない農家の人も同じである。日頃から買って食べている人はその悔しさがわからない。

いづれにしろ漁業権をもっている人たちに対する反発は地元でもあるだろう。それも多額の補償金をもらっているからそうなった。現代は金の多寡で金を持つことに比例して責任が問われているのだ。だから原発事故地域は常に補償金とかか話題の中心になる。
補償金のために心が分断されている。あいつはあんなにもらっているのにこっちはもらえないとかが常に言われるようになる。だからかえって一致協力して復興しようとするようにならない、心がそういうふうに分断されているからだ。


それにしても南相馬市では復興住宅の数がどれほどになるのか?鹿島区だけでも100戸くらいは建つみたいだ。それで300人くらいになるのか?その人数はわからないにしてもやはり新しく家を建てる人は少ないだろう。100軒くらい新しく建っているようでも全体では少ないかもしれない、老人所帯が多いと新しい家を建てるのをためらうのはわかる。
そのことも高齢化が津浪被害地域では復興になってゆかない足かせなのである。

宮城県にしても零細な漁業をしている港などがそうである。高齢化で跡継ぎもないところだったのにあれだけの津浪の被害にあったらもう村自体住めない、若い人も流出して村自体が消失してゆく記紀なのである。
この辺でも時給1200円でも働く若い人がいないのである。金だけでは解決しないのがこの辺の問題なのである。

復興という時長い時間がかかる。でも老人の先は短い、すると若い人は復興に向いているが老人はなるべく自分でもそうだが先が短いのだから苦労はしたくないとなるのだ。

若い人の時間感覚と老人の時間感覚は相当に違っているのだ。
だから老人は新しいことをはじめるより今まであったものを大事にする。そして新しく何かをはじめるというより過去の思い出に生きるのも老人なのである。
それは長い目で復興をしてゆくという感覚ではない、今の時間が貴重であり残りの時間を楽しむというか深く味わうという感覚になるから未来への投資などもてきなくなるのだ。だから過去の思い出に生きるという時故郷に住めなくなった老人が多いのだから辛いと思う。いくら多額の補償金をもらったとしても住み慣れた土地から離れるのは辛いのである。若ければ20代30代ならなんとか新しい場所で再出発できる気持なるのが年になるほどできなくなるのだ。


原発自己周辺であれ宮城県などの零細な漁業している港などでもこの高齢化社会の問題が深刻なのである。現代はいたるところに高齢化の問題が深刻なのである。介護時代というのもそうであり介護離職者がいて自分も同じだから同情した。介護の負担もこれからますます大きくなってくる。だから小さな湊の村は消滅してしまう危機である。

posted by 老鶯 at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/80026815
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック