2013年11月04日

近隣の秋の日の写真(老後は家が大事になる-家が尊厳をもたせる)



近隣の秋の日の写真

(老後は家が大事になる-家が尊厳をもたせる)

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老木のなお朽ちざるや冬に入る

土壁に秋の日さして蔵古りぬ


日のさして一輪一輪の野菊かな


栃窪に蛹の一つ秋の陽の山間に没り村の古りにき


ソニーの新しいRX200M2を買ってから写真の魅力を深く感じるようになった。このデジカメは六万くらいでも今まででは一番高い。一回一眼レフのデジカメ買ったが重くて使い物にならなかった。自転車だと重いのは使いない。

このデジカメはやはり写りが違う。光の感じが他とは違っていた。一見同じように見えても違うのである。写真はカメラによって相当影響されることを知った。
いいカメラでとれば平凡な風景が違って見える。

現代はともかく写真の時代である。写真で日記のように日々を記録しているのだ。それもデジカメが安くても高度な写真をとれることにあったのだ。
それが一般向きにしたのである。

土蔵は土壁でありそこにさしている秋の光は何とも言えないものがある。土壁など今はないけど自分の家は土壁だった。もうそのときは職人すらいなくなっていた。
でも昔風の家は土壁でも何か重みがある。現代風の家はみんな建て売りであり組み立てているだけである。だから一週間でもできてしまうのである。まるでプラモデルを組み立てるようにできる。でも何か重厚な家というのはなくなった。

家で意外と大事だなと思ったの天井なのである。なぜなら天井は寝る時いつでも見ているからそこが貧弱だと何かみすぼらしい感じにさせるのである。
家というのは家によって人間が尊厳をもたされるということがあるのだ。
ルネサンスのラファェロのアティイの学堂がそうである。
あのアーチの建築が人間に威厳をもたせていたのである。
それはヨーロッパの駅がアティネィの学堂のような立派なアーチの煉瓦作りのがあり駅でも人間に威厳をもたせているのである。
ただ高層ビルなどは人間に威厳をもたせない、都会の林立するビルはただビジネスの空間であり精神的な人間に威厳をもたせるものがないのである。
だから人間はただ蟻のようにうごめく貧弱なものにされているのだ。

家など自由人には重要じゃないというのもある。
若い時はそうにしても老後は家が大事である。
なぜなら家にいる時間が長くなるからだ。
そして老後から死ぬまでの時間は家で過ごすことが多くなる。
家がくつろぎの場所でありまた創造の場所でもあり回顧する場所にもなっている。
だから貧弱なの家だと何か精神的にも見すぼらしくなる。
もちろんあばら屋でも人間の精神の持ちようで風流はある。

ただ老後は出て歩く時間より家にいる時間がずっと長くなる。家が一つの世界になる。
もし歩けなくなったりしたら余計そうなるだろう。もちろんそうなると家に住めなくなるだろう。誰かの助けがないと生活できないからだ。今まで家というのを自分はそんなに大事だと思っていなかった。

ただ家の主人だった身内の人が死んで自分の家を自覚するようになった。
このところ六年間介護でありそして家との格闘だった。
家を直すことや家の中を整理することがずっと仕事だったのである。
今日も一室の天井を自分で模様紙ではりつけた。
これは簡単だからできた。狭い部屋だからできた。
ともかく家を維持することはもう一人ではできない
家というのは人間にとって実際は今になると大問題だった。
墓はめんどうでも小さいからそれほど手はかからないが
家は大きいから手がかかりすぎるのである。

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