2013年11月03日

電車と朝日の写真がうまく撮れた

 

電車と朝日の写真がうまく撮れた

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人がのっていないみたいで淋しいな、高校の通学にはまだ早い


朝日映え電車渡るや秋の川

電車行く鳥の飛翔や秋の朝


撮り鉄というのがあった。鉄道の楽しみ方は人それぞれである。鉄道は文化になったというときそれだけ人間の精神的な面にかかわるようになったからである。
鉄道が人間の出会いとか別れを演出するようになったのである。
鉄道がいいのは自然に映えることなのである。バスとか車が自然に映えるということはない。ただ便利に運ぶ機械に見える。鉄道は今回の朝日でも夕日でも映えるのである。


鉄道専門家写真がいたけどあれほど鉄道に思い込みがあるのがわかる。鉄道には何か人間の汗と涙とか何かそうした人間的なものがしみこんでいるのである。昔の駅舎なんかもそうである。特に鉄道全盛時代がそうだった。道の駅には車には何かそうした人間的なものが感じられないのである。ただ便利に動く機械としか感じられない。

鉄道にあれほどひかれるのはそこに何か人間臭いものがあり今や郷愁となっている。
ただ物流とか輸送の面ではローカル線だと過去のものとなっている。

常磐線は別に仙台までは八両編成であり廃線になるような線ではなかった。
ただイワキまでは便も少なく二両とかでありローカル線としてつなぎとしての線になっていた。それが原発事故で途絶えてしまった。この線が回復するのかどうかは予定がたたない、もしかしたら廃線になってしまうかもしれない、車優先だからそうなりやすいのである。


この写真で肉眼でわからなかったのが鳥が飛ぶところが写っていたのである。
またこんなふうに光がきれいになっているとは思わなかった。
シャッターチャンスは無数にありそれは偶然なのである。
だから意外と同じ写真は撮れないのである。
朝日でも毎日違った朝日になっているからである。


こういう写真は旅ではなかなかとれない、旅だと落ち着かないし一瞬をとることがむずかしいのだ。とにかく動いているものを撮るのはむずかしい。こういう写真にしても鉄道の写真にしても一枚しかないということに価値があるだろう。
別な角度からとればまた違って見えるのが写真なのである。

ただ写真だとこれが秋なのか冬なのかということがわかりにくいのだ。
芒などが写っていればわかりやすいけど意外と太陽だけだったら季節がわからないのである。だから季節がわかるような撮り方が必要になる。

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