2013年10月20日

仙台までの常磐線の駅を秋に偲びぬ (津浪の後の駅を偲びて短歌十首)


仙台までの常磐線の駅を秋に偲びぬ

(津浪の後の駅を偲びて短歌十首)

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常磐線の亘理から駒ヶ嶺までの津浪の被害状況
http://shi.na.coocan.jp/tohokukantodaijisin-8.html


駒ヶ嶺即過ぎ去りて新地かな伊達と相馬の境なるかな

新地駅海の近きに屋並見え虫の音聞きつしばし止まりぬ
新地駅月影さして明るしやおりたちしばし休む時かな
坂本駅秋の灯ともりここすぎて相馬となるや電車に帰りぬ
磯浜に港のありて知らざりき山元駅の親しきものを
山元駅瀟洒な住宅建ちにしをみな津浪にて流されしかも
仙台に勤めに通う人のあれ山元駅や秋の日暮れぬ
浜吉田浜とあれども海見えず駅まで襲う津浪なるかも
仙台へ亘理る来れば近しかな海の近きは思わざるかな
鳥の海蔵王の見えて船よりぬ阿武隈川もここにそそぎぬ
逢熊駅とまりて鳴きぬ蝉の鳴く声のひびきて新しき駅
仙台に電車に通う常の日や津浪に失ういつの日通ぜむ
仙台へ電車通わず十三夜の月影照らしあわれなるかな


相馬と仙台は密接に結びついていた。それは常磐線があったからである。相馬藩は江戸時代でも伊達藩との結びつきが強い。戦国時代に伊達政宗と争ったにしても強いのである。だからいろいろな江戸時代の碑は伊達藩のものが多いのである。


「地名は知っていた(下)(太宰幸子)で


海蔵寺は江戸後期に開山された寺だそうでその頃から須賀畑周辺に住む人が多くなったのだろうか。

しかし地元の人は「もっと前から住んでいた人がいると思うよ」と話し「何代もつづいた古い家が多いだんよね、秀吉の朝鮮出兵の際、船の漕ぎ手として行ったという家もあるよ」とつづけた。
領主であった伊達成実(しげさね)とともに、文禄の駅(1592-1593)に参戦した方の子孫もいるのだという。


この話で気づいたのは新地の神社に「文禄」と記された碑があったのだ。これは何を意味しているのか?ただ文禄とだけ記されている碑もめずらしい。そもそも相馬では文禄時代の碑など皆無である。元禄辺りからあるし増えているが文禄は古いのである。伊達藩は相馬藩より古いから古いものが保存されている。
新地は一時伊達領だった。境であり争った城もある。伊達政宗の朝鮮出兵は大きな歴史的出来事だった。だからその時朝鮮人を側室にしたとか言われるが真意はわからない、朝鮮の陶工などを強制的に秀吉は唐津などにつれてきたのだからそういうこともないとはいえない。


滴水瓦(てきすいがわら)

 瓦の瓦当面が、雨水が滴るように「雲頭形・倒三角形」に垂れ下がった軒平瓦で、一般に「朝鮮瓦」と呼ばれます。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に参戦した大名達が権力の象徴として、朝鮮の瓦を真似たものとされています。
 仙台城本丸跡では、瓦当中央が花菱文の滴水瓦(3点)や菊花文(10点)が出土しており、仙台城二ノ丸跡・松島瑞巌寺・利府町大沢窯跡などでも出土しています。
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/castle/08.html


相馬市の城跡の大手門の瓦も滴水瓦なのである。この時伊達藩の方から技術が伝わったのかもしれない、新地には伊達藩の侍だった人が住んでいて相馬市との合併を拒んでいたという。その屋敷も津浪で流されたのである。伊達とは敵対しても因縁深いのが相馬藩なのである。そもそも野馬追いも伊達に対抗するための軍事訓練からはじまっていることでもわかる。
ともかくこの話から文禄という碑は文禄の役の記念だったと推測されるのである。
新地はやはり伊達とのつながりが深いのである。
相馬藩の歴史は伊達藩の歴史とクロスしているから伊達藩のことを知らないと相馬藩のこともしりにくいのである。
相馬藩には仙台方面の古い碑が多く仙台の方にお参りしていたことが如実にわかる。
小牛田神や山神などがそうでありこれはどこでもみられるからだ。


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新地の神社にあった

 

常磐線は自分も仙台には通っていた。遊びにしろ仙台は身近だった。第一相馬から通勤していた人もいたから通勤圏でもあった。一カ月に二回とかは行っていた。前は本を買うために行っていた。他に仙台はやはり東北では大都会だから違っていた。
でも駅の名は暗唱するくらい頭に残っていても実は相馬市から亘理まであれほど海が近いということを意識しなかった。海が新地でわずかに見えるだけで見えなかったのである。海に近くても海が見えないと意識されないのである。それで新地駅にしろ山元駅にしろ
あれだけ無残に破壊されたことにはショックだった。線路がぐにゃぐにゃに曲げられ見るも無残な状態になった。そもそも新地はわかるにしても山元駅があんなに海に近いとは思わなかった。磯浜に港があることもわからなかった。ただ山元駅はさらに仙台の通勤圏内に入り駅の回りに瀟洒な家が建っていた住宅街があった。そこにプロ野球を引退した人が住んでいたのである。そも全部津浪で流された。

最も意外だったのは浜吉田駅である。いつも通っても浜とあっても全く浜と意識されなかったのである。それがあそこまで津浪が襲った。あそこもかなり海に近かったのである。写真を見たらあそこの駅前まで津浪で海のようになっていた。あの光景も信じられないものだった。浜吉田の浜はだてについているものではなかったのである。

電車には思い入れが強いから駅が一つの記憶の場所になる。逢熊駅も最近できたから記憶に残る。そこは新しい駅なのである。仙台に近いから新興住宅地ができるから新しい駅ができた。そういう駅でも歴史を知らないと何かただ通りすぎるだけになる。旅をするとそうした歴史を知るのはむずかしい。
坂本駅でもあそこが伊達と相馬の境だなと思って旅する人はまれだろう。そこに旅が失った所以がある。例えば江戸時代なら境に関所があれば否応なく意識されるから違っていたのである。不便でもそこで意識されて記憶されるから違っていた。

亘理駅に来れば仙台は近い、ただここでも海が近いということは意識されない、ただ今度は阿武隈川をわたることは意識する。海は意識されないのだ。ただ一度鳥の浜に行ったとき、蔵王が大きく見えて船が寄っていることは新鮮な風景だった。あの辺から蔵王ははっきりと見える。阿武隈川は福島市から船で米などが運ばれ荒浜から江戸へ運ばれた歴史もあったのである。それなりに交通の要所となっていた。
 

仙台は何か電車が通じないと遠くになった。ここ半年以上めんどうだから行っていない、何か仙台も遠いなとなり十三夜の月影が津浪で襲われ破壊された駅や線路を照らしているのも感慨深い、何かこうして交通がたたれると江戸時代にもどったような気分になるのだ。江戸時代はめったに遠くには行かないからだ。
それは小さな今回津浪に襲われた港でもそうである。牡鹿半島の湊は小さい、そこでも江戸時代から暮らしがあった。そして隣とは山でさえぎられているからあまり行き来がなかったという、船越とは船で越すからであり陸では閉ざされた地域が点々とあった。
でも魚や貝がとれたとしても米はとれないし野菜もそれほどとれないとしたらどうして自給自足できたのだろうかとなる。それもまた海の生活というのがわかりにくくなったためである。牡鹿半島では津浪の時、後ろの清水を飲んでしのいだとあった。あそこには確かに清水が出るから山があり山の木で燃料も補給できたのである。ある程度自給自足できていたのだろう。だから交流がなくても最低限生活できたとなる。

地名というのは自然と密接に結びついている。
 
「岩沼」の地名の由来の一つとして、
「宮城県地名考」に「伊達家の家臣、泉田安芸重光が、この地に築城して「鵜ヶ崎城」と称した。このお城回りの堀が「沼」になっていて、10の沼があった上に、このお城の一角と沼とを併せて「岩沼」と呼んだといわれてい
 

こういう情景が津浪でリアルになった。津浪の後にいたるところに沼ができたからである。でも今までは岩沼は繁華な地であり沼を想像することはできない、いつも見るのは団地だったからである。あそこには千貫松の伝説も残っているから伊達藩には慶長津浪の記録であり伝説が多く残されている。第一相馬藩の武士が慶長津浪の後の六郷に移住した。
そこに吉田とか地名となって残っている。これもわかりにくいのだ。
なぜなら相馬藩でも700人溺死しているとしたらその被害も大きいのにわざわざ伊達藩まで移住して津浪の後にすみついたのかその動機も良くわからないのである。


そもそも相馬藩の慶長津浪の歴史は相馬藩政気に一行だけ700人溺死としか記されていない、これもなぜなのか?津神社も忘れられていた。伝説もごくごくまれにしかない、一方で伊達藩領域には記録も伝説も豊富なのである。その相違は何なのか、一つの歴史の大きな謎であり課題にもなった。記録されない語られない空白はなぜ起きたのか、それを疑問に思ってたずねてきた若い研究者もいた。これの解明はなかなかできないだろう。
伊達藩それだけ歴史が古いし大きい藩だったし今も宮城県の被害が相馬藩より格段に大きいように何かそのことが影響していた。ただこれは相当な謎である。

 
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