2013年10月08日

秋薔薇 (写真のつづき-二駅で終点の二両の電車)


秋薔薇

(写真のつづき-二駅で終点の二両の電車)

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路地入りて曲がれる松や秋薔薇

我が街に民宿一軒秋薔薇
空席や二両の電車に秋薔薇
まもなくに闇のおおわむ秋薔薇
二三輪散りなお残る秋薔薇
散り残る花片や夕べ秋薔薇
二駅に終点となる秋薔薇


デジカメで見えないものが見える。民宿の庭に秋薔薇が咲いていた。となりの曲がった松には注意していなかった。というよりは見えなかったのである。人間の目はバラだったらバラに注目するから回りが見えなくなるのだ。この場合はとなりの松が見えなかった。
こういう点でデジカメは人間の見えないものを映し出すのである。

駅前の薔薇も何輪か散ったがまだ残っている。でもいかにも秋の薔薇らしく散った薔薇が花片を残している。これは時間の経過で見るとやはり味わい深いものとなる。

二両の電車は走るのはかなり贅沢であり採算などあわないだろう。ローカル線ではそういうのが結構ある。でも電車が走っている所と走らないところはかなりの差がある。
ローカル線でも客は少なくても走っていれば何か違っている。
自分の場合は電車に思い入れが強いから電車が走らない所に住みたくない、この二両の電車が走っているだけでもいい、この電車は二駅しか止まらない、あとは終点になってしまう。こういう電車もげせいたくだろう。原町駅でも相馬駅でも終点だからあわてる必要が全くない、ゆっくり乗っていられるのである。通りすぎることは絶対にないからである。前だと八両あり相馬駅でも下りねばならないと落ち着かないことがあった。

これはそういうふうにあわてる必要が全くないのである。
こういうのは老人向きだとつくづく思った。

まず東京のような所で満員電車にのるのは老いてからは特に嫌になるだろう。どうしても都会は老人向きてはない、ただ人が多いからいろいろなサービスが生まれる。老人向きの施設でもそうである。田舎では人が少ないからサービスが限られてしまう。


いつれにしろ老人になればスロー社会がいいのである。ゆっくりと自然の変化でも見てゆく、忙しいとゆっくりも見ていられない、ただ自分は今は忙しい。それでも暇を見ては花を見ている。意外と忙しいと花見る時間さえなくなるのだ。フラワーアレンジメントだって結構時間がかかるからそんなにできないということがある。


ともかくこの秋薔薇は前の夜撮った秋薔薇のつづきである。時間の経過で鑑賞するものである。

今日は暑かった。秋という感じではなかった。これも季節的には変である。今頃は秋が深まってゆくころだろう。むしむし暑いのも変なのである。
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