2013年10月01日

秋薔薇 (ソニーのRX100M2はやはり写りが違っている)


秋薔薇

(ソニーのRX100M2はやはり写りが違っている)

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秋薔薇朝一杯に光あぶ
五六輪朝の日あびて秋薔薇
秋薔薇今一時の光かな
隠されて一輪ひそか秋薔薇
秋薔薇石も暮れゆく庭広し
萩しだれ二両の電車通うかな
なお森にひびきて暮れぬ秋の蝉


啄木鳥の虫を探して木をたたくその音しばし田舎の町かな

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秋薔薇が朝の光にを受けて駅に咲いていた。今度買ったソニーのRX1002は写りが違っている。今までだと光の感じがうまく写っていない、これは朝の光の感じが出ている。
カメラはやはりみんな写りが違っている。カメラは光をどれだけとらえられるかが問題になるのかもしれない、このカメラは夜には強い、だから月の光の中でもきれいに写るだろう。


光という時、光は人間にとっても自然界にとっても喜びなのである。
ゲーテが「もっと光を」と言って死んだというがまさに光が喜びだからである。
フェールメールの絵がいいのはその光をとらえたから不朽の作品となった。
明らかにカメラによって光の感じが違ったようになる。
するとカメラによりけりで芸術性が高められるのである。

20万のソニーのカメラ買おうかと思ったがどうしても自分の場合落としたりするので買わなかった。このカメラでも前よりはきれいにとれているだろう。

近くでシャーターチャンスが結構ある。鳥はとるのがむずかしいけど隣の庭に来たのでとれた。こんなにはっきりととれるのはめずらしい。ぶれたりして動くものはとりにくいのだ。これは近くで定点でとっていたからとれた。コゲラでありこれはこの辺でもときたまみかけるのだ。ただ滅多にみかけないから写真にとるのはむずかしい。
最近は海の方から津波の跡にめずらしい鳥が飛んできた。これもとることができなかった。

啄木鳥という時、北海道は大きな啄木鳥がいてその音が遠くまでひびき木霊する。
冬でもオホーツクの斜里町に行った時、啄木鳥の音がひびいていた。クマゲラとかなると大きいから音がかなり木霊する。クマゲラでなくても啄木鳥と種類が多い。
アカゲラなどは岩手県の小岩井牧場でみかけた。その時も冬でありただ啄木鳥の音が深い森に木霊するだけだった。この啄木鳥は大食漢であり相当の虫を木をつつきとりだして食べている。だから暇なし虫を食べるために木をつついているのだ。
一見のどかなように見えても自然界では餌をとるために毎日活動しているのである。

萩が川子の高台にしだれていた。そこに二両の電車が通る。これもなかなかとれない、電車は定期的に通るからその時間をまっていてとるほかない、この辺はまだ自然があるから遠くに行かなくても写真になるものがある。津波の後に景色が変わったからそれも写真として記録するのにはいい。
写真もやはり芸術なのだろう。ただ自然はとっているけど人間はとっていない、人間をとったものとして50年前とかの写真は貴重だった。今ならフォトブックとか大量の写真が残るから50年たった時思い出すから得である。なかなか思い出せないのが過去になってくるからだ。


写真の魅力はやとりデジカメになってから一般化したのだ。適当にその場で10枚くらいとっていいものを選べばそれなりのものがとれているからだ。プリントでもキタムラショップとかで頼めば前の写真の現像と同じ画質で残せるのである。
そういう点では恵まれた時代である。

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