2013年09月10日

廃村になり人が住まなくなるとどうなる (原発事故で人が住めなくなった町村ーそこは幽鬼の住まいとなるのか?)


廃村になり人が住まなくなるとどうなる

(原発事故で人が住めなくなった町村ーそこは幽鬼の住まいとなるのか?)

村一つ消えにけるかな廃屋に祖母の写真や何を語らむ


祖母ありてこの家の歴史幾代や人は消えにし秋風の吹く


●廃屋に残された一枚のおばあちゃんの写真


 2009年2〜7月の大規模地滑りで、最終的に7戸32人が移転し廃村状態になった鶴岡市大網の
七五三(しめ)掛(かけ)集落でこの春、「再生の桜」が初めて咲いた。集落の中心部にあった渡部大吉さんの
所有地に今もある樹齢50年ほどのしだれ桜「大吉桜(通称)」の苗木だ。
豪雪と酷寒の冬を乗り切って咲いた再生の桜は集落に住んだ人たちの希望になっている。【佐藤伸】


廃村に残されたおばあちゃんの写真
http://fesoku.net/archives/6595298.html


どこの家でもその家の祖母とか祖父でも死んだ人の写真が飾ってある。自分の家にも50年前に死んだから余りにも遠くなってしまった。それでも写真が飾ってあり人が住んでいればその人は生きているのだ。最近はつくづくと父の写真とかを見ている。早く死んだので自分がまだ中学二年くらいだったので思い残すことがかなりあったみたいだった。「上の学校にあげてくれ」というのが遺言だったみたいだ。酒屋の丁稚奉公で苦労したから上の学校へ行けばいい暮らしができると思ったからそういったのかもしれない、明治生まれの人でその出自は葛尾(かつろう)村であり双葉の新山の酒屋で丁稚として働いていた。通帳を書いていたから字は書けていた。どうもまともに尋常小学校も出ていなかったのかもしれない、どうして筆で字を書けたのか不思議である。葛尾(かつろう)村のような所ではそもそも学校などその頃なかったろう。自分の父の印象としてはよく筆で字を書いていたということである。だから将棋盤や他のものにも自分の名前を筆で書いていた。


酒屋の通い帳も残っていてその字が残っている。明治生まれでは字を書けない人がまだいたのだ。その人は人に書いてもらっていたのでそのことで気を使っていた。江戸時代になるとさらに字を書けない人、読めない人はいたのである。日本人は幕末でも字を読み書ける人が多かったと外人が驚いてもそうでない人もそれなりにいた。その割合はわからないにしても遊女でも客の誘いの代筆してもらったりとかそういうことがあったから農村出となるとそういう人はいた。字をどこで習ったのか、葛尾(かつろう)村に寺子屋のようなものがあったのだろうか?寺子屋は古くからあった。鹿島区の町中の鹿島神社の脇の墓地はもともと神社であり次に寺になりそこが寺子屋の役割もしていた。そこに天保という字が刻まれてあり気づいていない、その碑の文字には暗誦するようにと書いてあるみたいだ。その頃の学習は暗誦することだったのである。今でも若いときは暗誦すること暗記が主になるから今とにている。


●時間軸で積み重ねられた歴史の消失


なぜこの廃村の廃屋の一枚の写真が印象に残ったかというとそこにはまだ生きた時の人間のぬくもりを感じた。これは写真のよう地も見えない、絵なのだろうか?何か人間的なあたたかみを感じる。
写真は何か冷たいものを感じるからだ。祖父とか祖母はその家の重みをになっている場合がある。
それが今は大家族でないからそうした縦のつながりが薄れてしまう。祖父とか祖母は今の家族ではかえってそれぞれ別に暮らしているのが多い。家族形態や住居形態が変わってしまったからだ。
これも封建的だとか批判されるがそもそも人間の歴史をふりかえれば近代化の百年はかえって異常なことが多い。異常を異常と気づかないのである。人類始まって以来からある習慣やモラルを伝統を否定することがどうなるのか真剣に考える人はいないだろう。でもそんなことを考えないにしても結果として事実として社会を変えてしまう人間を変えてしまうから恐いのである。民主主義なども全く利己主義であり何でも自分のためにだけ自分の欲望を前面解放して追求することになった。
民主主義が実はピュ-リタニズムから宗教から発していたという考察もあり資本主義も宗教から修道院から発していた。全く違ったものとして解釈してモラルの荒廃が起きたのである。

ここで考察するのは限界集落とか廃村とか廃屋が全国的に増えている。東京のような都会のなかでも廃屋が増えている。少子高齢化は深刻な問題なのである。村が維持できなくなる、村が消えるということが何を意味しているのか?それがまだよくわかっていないのだ。人間のいなくなった村が何なのか?それが今や現実問題として過疎化の限界集落で現実化しつつある。村の歴史でも鉱山とかのためにできた村は歴史が短いから鉱山がなくなるとともに消えるのもわかる。炭坑の村などもそうである。でも何か災害などで消えた村は違っている。そこには江戸時代からの歴史もあるかもしれないし一般的に日本の村の歴史は長い、そういう長い歴史をももつ村が消えることはその長い間で代々住んで来た歴史も消失する。東京の人たちはそんな限界集落は税金の負担だけだから消えた方がいいとか原発事故の周辺は住めないのだからもうあきらめて補償金もらって他に住めばいいとか簡単に言うがそういうものなのだろうか?人間は一代で考えればそうなる。ところが時間軸で考えるとき歴史になりそれは国の歴史でなくても家や家族は歴史である。家は歴史が必ずあり歴史に興味を覚えるのはその家の系譜であり先祖をたどることなのである。だから代々つづく家からは歴史家が出やすいかもしれない、自分の家は葛尾(かつろう)村の柏原から出たということが原戸籍簿を調べてわかった。名前も嘉永生まれの人で清吉とのっている。江戸時代までさかのぼれたのである。普通由緒ある家でなくても江戸時代まではさかのぼれるのである。


●人間は一代では作れない


家系の因縁のことも書いたが人間はそもそも一代では作れない、代々積み重ねて人間や地域も作られてきたのである。その家系にどうしてそれなりの人物が出たかをたどれば家系をみるとそういう人物が出たことがたどれる。家系的に良い家は何か良くなるように努力を積み重ねた家のなのである。
悪い家はどうしてもその家系に放蕩したものとか犯罪者とか交じり家系が乱れているからかもしれない、女性についても不埒なものがいたからかもしれない、これは数式のようには解明できないにしろ良い家系と悪い家系があり良縁とは良い家系につくことなのである。その人物だけではなかなか判定できないものがある。女性は特にその家の影響を強く受けるかもしれないからだ。

家族は横の関係でも兄弟姉妹がいて一つの社会である。一人っ子はそうでないから何か性格的に社会性が作られない、自分などがそうである。その横の関係もあるがなかなか理解しにくいのが時間軸の縦の関係なのである。両親から祖父母からその先祖のことはわかりにくいのである。これはかえって60代以降になると意識するようになる。意識せざるをえなくなる。なぜなら両親も祖父母もはんな死んで墓参りするだけに名てしまうから死んだ人のことを考えるようになるからだ。そうすると死んだ人が自分にどういう働きをしたのか考えるのである。

結局廃村や廃屋化するとこうした家の歴史も理解しにくくなる。古い家はその土地とともに作られてきたからである。一つの家がなくなる廃屋化するのと村全体が廃墟化する消失するのとことはまた相当に違っている。一つの家が消失しても村が残っていればそれほど深刻ではなかった。村全体が消失すればその影響は計り知れない、一つの家も全体の中に村という全体の中にあって存在しえたからである。その村自体が消失したらすべてが喪失する。時間軸で何百年と積み重ねた歴史が消失する。

歴史で積み重ねで作られてきたものが消失することはまた新しい土地で一代からはじめることはやりなおすことは容易ではない、何十代とつづいた農家などは余計にそうなる。野馬追いなどはそうした歴史を伝える祭りである。村が失われたらそういうものもなくなってしまう。するとそこに住むアイディンティティもなくなってしまう。人間が生きるということは時間軸で縦の関係で培われてきたのである。代々伝えられるものがありそれを継承することが生きることでもあった。それがなくなるときどうなるのか?現代のモラルの荒廃はそうした伝えられべきものが消失したということにもあった。新しいモラルが民主主義がモラルだというときそれもただ別の解釈になり個々人の自由な欲望の追求になったように新しいものはモラルは簡単に作れないことを実証しているのだ。


●廃墟のなかを幽鬼が彷徨う


短歌でも書いたけど一つの古い碑が道端にあるとするとそれに秋風が吹いて自分も老いたというときその碑と一体化している。ということはその場にある長い時間あるものと一体化する。それは人間が住んでいればこそなのである。人間が住まなくなったらその碑も見捨てられ誰もかえりみないし放置される。ただの石くれになってしまう。意味のないものとされてしまうのである。そういうものを博物館に飾っても活きてこないのである。その土地と一体化して長い間存在してきたからである。

村が消失したときそうしたものが見捨てられどうなるのか?幽鬼が彷徨う異様な光景となる。それは無数にある廃墟の写真をみればわかる。人がいなくなった村がいかに異様なものか?そこにはやはり人の匂いがまだあり人は離れがたくあり幽鬼となり彷徨っているのだ。地蔵であれ社であれ古い碑であれ人に見捨てられたことで幽鬼化しているようである。誰もお参りしない社や御堂や地蔵は逆に人間への呪いと化すのかもしれない、人間が住んでこそそうした歴史的に残されたものも生き続ける。廃屋に残された祖母の笑っている写真がそうであった。その写真一枚でもまだそこには人のぬくもりがあり人が住んでいた往事を偲んでいるのだ。

なぜこんなことを書いたかと言うと津波や原発事故で村が消失したり住めなくなったりもう町自体が消失する住めないということが何を意味しているのか考えざるをえなくなっんたからでてある。

山形の村のように十軒くらいではない浪江町のよう2万とかの町が消失することは何を意味しているのか?これだけ大規模に町自体が消失することは過去にあったのか?災害で草戸千軒とか流されてなくなったらしいが津波ではそういうことが起きた。でも原発事故の避難の規模は大きいのである。
2万くらいの町が消失したらどうなるのか?そんなことがありえるのか?そうした疑問が次々に出てくるのがこの辺のなのである。

桜は人がいなくなっても咲く、花も咲く、樹々も芽吹く自然は廃墟の中でも生きてゆく、それは上萱でも人が住まなくなっても桜は咲いていた。その桜は人となじんだ桜だから自然の桜と違っていたのである。山桜ならいいが染井吉野だから人間の手で植えられたものだから
人間が住まないとその花も映えない、それはペット化した犬や猫と同じである。それも人間化した動物だから野生の動物とは違っているからそうなる。一旦人間の情を感じた野生の動物は人間化したものだから違っている。
だから野良猫になるとあわれだとなるのである。花見もしない染井吉野桜は何か淋しいのである。
それは栃窪の廃村となった上萱の桜に感じたのである。

 
 
posted by 老鶯 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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