2013年09月06日

芸術は何からはじまったのか? (芸術は日常の生活からはじまり建築と一体化して発展した)

 

芸術は何からはじまったのか?

(芸術は日常の生活からはじまり建築と一体化して発展した)

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いけばなの始まりは室町時代中頃。床の間の原型 「押板(おしいた)」 が誕生し、そこを飾る1つとして挿花(そうか)が生まれたことが、今に続く生け花の始まりだと言われています。
 

人間は最初は食料を得ること食べることで必死だったから果たして花を見てかんどうしていたかどうかわからない、縄文土器などは実用であり花を活けることはしなかったし花の絵模様なども見かけない、芸術の起源は実用でありそれ意外になにものもない、何か実用でないものから出発しないものはない、壺でも水を入れるとか実用が第一でありそのあとに壺に装飾性が加えられた。時間が経つにつれ装飾性にこるものができるのは理解できる。


日本で生け花が生まれたのは室町時代であり京都から生まれたのもわかる。奈良時代は万葉集の時代は主に野の花を歌ったものであり日本人的原始的心性が歌われていた。つまり京都になると文化の時代になったのである。そして生け花というのはまず生け花自体だけをとりあげて存在しない、最近家の整理や自分で修理していたりしてわかったことがあった。床の間というのが家に生まれたとき付随して生け花も生まれたのである。山水画も床の間に飾るようになった。絵というのは額縁にはめて孤立してあったものではない、必ず屏風絵とか襖絵とか建築に付随して絵があった。それは外国でも同じであり教会に付随して建築を装飾するものとして絵があったし

音楽も教会音楽から出発している。日本でも仏様に花を供えるということで生け花の起源がある。
額縁に入れた絵だけ鑑賞するということはなかったのである。音楽でも教会音楽だから聖堂の中で聞いていた、祈りながら聞いていたのである。そもそも芸術というのは全体的なものであり孤立したものではない、社会組織の中で生まれたものであり生活が基本にある。俳句だって座から生まれたということがそのことを示している。交際が洗練化して文化化した。あいさつでも日本では必ず気候の変化が激しいから最初は農民でも天気のことがあいさつになる。それが洗練化して文化化して季語となり俳句という芸術に発展した。

芸術はもともと生活から遊離して生まれたものではない、そもそも専門家の芸術家など存在しなかった。
宗教のはじめでも専門の僧侶やら牧師など存在しない、みんな農民であり漁師であり職人だった。
貧乏だったからそんな芸術の専門家を養うことができないから存在しえないのである。
俳句でも豊かな町人が生まれてそれがパトロンとなり俳句の専門家が生まれたが俳句で飯など食うのは容易でないから一茶のように極端な貧乏人しかいなかった。

そもそも現代はあらゆるものが職業でもパーツ化しているけど百姓は百の仕事をもっていたというように広範囲な現場の実用的知識をもっていた。時代をさかのぼればのぼるほど専門家は少なくなり全人間的なものとして人間はあった。たから芸術も絵だけが分離してあるのではなく建築と一体化して発展してきたことでもわかる。
建築と一体化して絵も生きてくるし彫刻も活きてくる。欄間なども彫刻であり職人が芸術化してできたものである。絵を絵だけ鑑賞していることは近代に起こったことでありそれは百年も満たないくらいの歴史しかない、また絵だけを買い絵だけを鑑賞するということも近代の商業主義から起きたことである。

オランダで商業で豊かになり豊かな商人が肖像画を注文したりして写実主義が発展したことでもわかる。
商人は極めて現実を写実的にとらえるからオランダの写実的な絵画が生まれたとなる。空想的にはならないから現実的な写実的絵画となった。

フェルメールの絵で最近気づいたことがある。フェルメールの絵は家の付属品、調度品として飾るのに一番向いていたのである。ただそれを単品として鑑賞してもその絵が映えないのである。自分が古い家の一角に飾ってそれを否応なく毎日見ていてわかった。この絵では家政婦が水を汲んだり壺に入れたり極めて日常的なものとしてある。でもこれを毎日見ているとまさにこの家政婦が家と一体となりリアルに存在している。この家政婦の女性は太っている方が存在感がありにあっている。何か頼もしいという感覚になる。手伝いさんを一時雇っていたからこういう女性がいたら自分の家もいいなと思った。家政婦とか女中とか手伝いさんはオランダの商人でも豊かになった家には不可欠ものだったのである。この絵を飾っているとこの家政婦が本当に家と一体化して存在しているように見えるから不思議なのである。これを博物館とか単品で見ているとそんな感覚はあまりでてこないのだ。だから絵とか彫刻でも博物館とかで鑑賞するものではない、それはもともと寺の伽藍であり教会であれ貴族の館であれ家と一体化して飾られていたものなのである。部分化したとき貧弱なものとなりその価値は減退したのである。現代はあらゆるものが全体から分離してパーツ化しているから本来の芸術の意味が失われたのである。イタリアのルネサンスは個々の芸術家の才能ではない、ギリシャからローマからイスラムから歴史的総合的なものとしてルネサンスが起こったのである。全体の中で活かされたから壮観なものとなった。


テレビで装花として世界的活躍する人を紹介していた。それができたのも大阪という国際都市があってこそであった。なぜなら大使館などで飾り付けを頼まれたことにより世界的活躍する場所が生まれた。地方では大使館などないのだからそういう人も生まれないのである。そしてこの人がなぜ花の芸術家になえたか,花栽培している農家に生まれたということも影響している。花屋も兼業していたことも有利だったのである。
正直都会からだけ現代のような大都会から花の芸術が生まれということはありえない、花はそもそもいろいろあっても深山幽谷に咲く花にこそ花が映えるということがあるからだ。茶の湯のわび、さびの心は都会人の心ではない、でも商人が勃興して豊かになって堺の商人出身の千利休によって芸術にされた。つまり文化が生まれ素地というのはもともと田舎にあった。土を離れて大地との生活と遊離して芸術もありえないのてある。

そして田舎だけでも生まれないのだ。堺であれ京都であれ都が都市があって文化が養成される。
それも巨大都市ではない、奈良も京都も今の10万規模くらいの地方都市の規模だったのである。
そこにはまだ土の匂いがあり自然に咲く花の心も理解できるところである。
花の心は本当は都会人には理解しにくい、自然に咲く花は自然と調和したものだから森があり川があり山があり草原があり海があり湖があって映えるものだから人工物だけの大都会からは自然そのものを理解できないのである。天才が生まれるのは地方都市であり大都会から生まれないというのはそうした素地がないのだから当然そうなっているのだ。人間は生れた育った環境に影響されるからそうなる。毎日高層ビルを見上げていても自然のことはわからないから当然そうなるのである。

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チューリップの花瓶は航空で買った
なかなか外国では荷物になるからお土産買えなかった。
階段を上り二階にゆくとき必ずこの絵を見ている

これも家が広いから飾る場所でまた違ったものとなる。
家というものがそもそも活きた博物館にもなっているのだ。
生活の中で芸術が活かされてこそ芸術も活きてくる。
だから廊下の壁に飾るものは広いから大きな絵が必要になってくる
コピーの絵をはめると絵が日常の生活の中で活きてくるようになる

自分の家はすでに40年以上立っているから壁が古くなっている
それがまたにあうのである。
古い家には40年でも歴史が生れるから新しい家と違ってくるのである。
外国では古い家が残るから歴史的感性が養われるのである。

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