地方政治の堕落が原発事故にも結びついていた
(議員も生業化して利権追求のみとなった)
どこの党も避けて通る現代日本が抱える3大問題B ・・・地方議員の生業化の残念さ!
http://damasareruna.blog65.fc2.com/blog-entry-1073.html
※日本の地方政治が腐っている根本原因 → 「議員の家業化・生業化」
日本の地方政治のレベルが異常に低いのは、議員が専業化し、家業・生業となっているからに他なりません。
大して決めることもないのに(諸外国なら無報酬ボランティアでできる程度の仕事)、昼日中から、大の大人が何十人も集まって、ミミッチイ公金の使い先を考えてるだけ・・・
こんなモチベーションの上がらない仕事を生業にする人間の資質など、たかが知れているので、・・・
→ 地方議員の人的レベルは、非常に低い。
→ ロクなことが出来ない、ロクなことをしない。
(そもそも地方議会など大してやることないのに、専業議員なので、研修という名の観光旅行や談合で時間つぶし・・・)
→ 家業・生業化しているので、政治信条・主張などよりゼニ・カネ(生活)優先
→ 与野党もなく、利害共通 オール与党。全く牽制効きません。
→ 政・財・官も癒着、腐敗しまくり、公金ムダ使いし放題
→ 二世議員や役人出身の天下り議員が再生産され、永久機関のように悪循環!
このサイトの指摘は盲点をついていた。「住民エゴ」のキーワードからリンクして見つけた。
なぜ原発事故が起きたのか?原発が作られたのか?
その原因を追求してゆくと様々あるにしろ地方政治の問題もあった。
それがすでに地方政治が地方議員などが何の役にも立たない、政治として機能していない問題があった。
その主要な原因が実は生業化した給料も安定して年金までもらえる利権としての職業となっていたことだという。議員は昔のように土地の有力者が金持ちがボランティアとしてやるものではない、明確に職業として給料を得るためでありその給料も今では大きいから議員を目指すという人が主流となった。
一見それはプロ化していいことではないか?
ところがかえって給料が報酬が確実にもらえるから議員になりたいという人が主流になったとき、その報酬の方に目が奪われて議員に立候補する。そこに議員になる動機が不純なものとなっていた。
人間は働くというとき前にもベーシックインカムについて書いた時、そのことを指摘した。
ベーシックインカムとは働く明確な動機がないなら働かなくてもいい社会である。
それは昔、議員が名誉職として自腹をきって金持ちの人が故郷に尽くしたいという動機でしていたのとにているのだ。給料を得る必要がないのだから純粋にその動機のために仕事することになる。
だからボランティアという働き方はその動機にかなった働き方にもなる。
被災地の何らか役に立ちたいというときその動機は金を得るためではないからだ。
働くというとき本当はその動機が重要であり動機が不純だと結局、利権が自分の利益だけを追求するようになる。
地方政治が堕落して機能しなくなったというとき議員もそうだし住民エゴでもそうだったようにエゴの利益、利権だけの追求になる。政治は今や利益、利権の追求が目的であり議員も議員になれば名誉も得られる金も得られる権力がもてるとなりなる人が多数である。その原因がボランティアではなれない、それだけの経済的余裕がないからそうなっているのだ。だから民主党の鳩山由紀夫が財閥で金を出して民主党を作ったときそれはボランティアであり自分の利益を得るためではないからかえってそれが悪いものとはならない、小沢氏がいつも悪者として批判されたのは鳩山由紀夫のように政治資金をもてないからいかがわしい献金でもとらねばならないからそうなっていた。ボランティアにもいろいろ批判があるけど自分の利益を求めないのだから動機が純粋だとなる。
そして地方政治は左翼系に蹂躙されて支配されているとか言われるのも地方政治がある一部の団体の利権の場としてただ利権を利益を得る場としてのみあるようになったからそうなる。公明党でもカルトの創価がバックにあって利権追求になっている。共産党でもやはり自らの団体の利権追求の場として地方の政治を蹂躙する。もともと江戸時代は寺は役所化していて利権を一人じめしていた。僧侶が俺は宗教の専門家だというときこれも利権化していた。宗教の専門家が堕落の原因だった。京都辺りではやはり観光利権として寺があり僧侶がある。
これもすべ利権化した職業化したからそうなったのである。戒名利権もそうである。宗教自体職業化することが間違いだった。それはカトリックの歴史が語っている。
全く宗教が政治化して利権化していたからである。土地所有などでも教会が利権をにぎったとかこれは仏教の僧侶組織が利権化したために
権力掌握を目指す信長と争うことになったのである。
要するに政治は権力追求であるからしかたないにしても共産主義政権も中国では露骨に賄賂政治になったようにそれが政治だからとめようがないというのもわかる。
そうした地方政治の行き着く先はただ利益を得ればいい、利権獲得だけが問題になる。もしボランティアの金持ちなどが議員だったらそうはならない、金持ち喧嘩せずというように自らの利益を得ることではない、余裕をもって政治に参加できるし主張もできる。もちろん政治には利権利得から離れられないにしても別に議員やめても経済的に困ることはないのだから主張は通すことができる。
これはマスコミでも同じである。スポンサ-が会社でありカルト宗教団体でありそうしたものの宣伝であり宣伝機関になっているから東電のような巨大スポンサーは批判できない、新聞を出すには金はかかりすぎるし本だって流通させるとなるとそうなる。マスコミが何らフクシマの原発について批判できなかったのはよって立つ基盤の経済力がないからである。それはすべてのマスコミに言える。新聞やテレビは金がかかりすぎるから巨額の金を必要とするから大会社やカルト宗教団体や組織、団体の応援がないとできないからそうなる。
インターネットだと問題はあるにし無料でも報道できるからしているのである。そこには利益を得る給料をもらえるからということはない、かえって自ら支出してもそれも無料と同じだからみんなしているのである。
だから意外とインターネットの報道には真実をつくものがある場合がある。
今回のサイトでもそうだった。これは誰も指摘していないというときそうなのかと納得したからである。
なぜフクシマ原発が作られ事故が起きたかというとこういう政治の構造があった。すべてが漁業組合でもそうだし地方の議員でもそうだしただ利権、利益の獲得を第一として政治があることにあった。それで富岡町長の5億円の金庫が津波で流されて拾ってくることを頼まれたとかの噂になったのである。
相馬市の議員にも義援金が200万円支払われたとか市長が殴られたというかのもそうである。
議員も利権、利得追求しかないからそうなる。ボランティアの金持ちだったらそんなものいらないよと拒否できるがそれぞれが議員が生業であり家族を養わねばならないとなるとそういう利権のみに敏感になり公の目的はないがしろにされるのである。
ともかく原発の利権は莫大なものでありそこに地方政治はもう利権が利得が第一としてのみこまれしてしまったのである。住民ももちろん利益を求めるからそうなる。それに逆らうものは村八分にされてその町に住めなくなっていた。こういうすべてが利権構造と利益を求める結果として原発が作られ事故にもなった。
東電でもコストカットを第一として安全を計らなかったし政府も官僚も安全を計らなかった。東電では金がかかるから安全対策は後手後手になっていた。官僚も監督しないで東電への天下り先として見逃していた。
すべてが利権利得として追求するから必然的に大事故になったともいえる。
だからそうした人間の限りない欲に対して自然が神が怒ったのかもしれない、原子力発電は魔法のようだけどきわめて極めて危険なものだということを専門家でも知っていても知らせなかったのである。
エネルギーとは簡単に手に入るものではない、それは江戸時代からロウソクがどれだけ貴重だったとか書いてきた。明かりをともすことは相当な贅沢なことだった。それが電気の時代になったときあまりにも簡単にエネルギーが得られるので忘れてしまったのである。
ともかく南相馬市などでももう市長とか議員レベルだけではもう解決できない、様々な問題が生まれた。
もともと地方政治は住民のために機能しなくなっていた。それが議員の問題でもそうであり要するにただ利権利得の追求が最優先されるだけものでありそれが原発事故に通じていたのである。
ベ-シックインカムの悪い例が原発事故周辺の市町村
(補償金で誰も働かず市町村は衰退、荒廃、消滅?)
http://musubu2.sblo.jp/article/68953307.html