2007年11月28日

冬紅葉(インタ−ネットは共同制作の時代)

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隣なる老夫婦住む冬紅葉

幻や窓にとまり消ゆ冬の蝶

古庭に古木一本冬日かな

NHKの自費出版でだまされたというので一瞬その家の写真がでて古いいい木があるなと見ていた。これだけの木になるには年期がいるから相当古い家で庭だと思ったのだ。
新しい芸術分野で写俳というのが生まれた。これはデジカメとインタ−ネットの発達でできた新しい芸術である。写真は写生だから相性がいいと前にも書いてきた。写真から写生して俳句ができるのだ。実写ではないがやはりこの映像から刺激されるものがあった。なかなか写真をみたからといってすべて俳句にはできない、これは古い庭であり古い木であり古い家でありそこに老人が住んでいたということで辺りの状況とマッチしたからできたのだ。

 
これはNHKで無断で拝借したとなると著作権違反になるのか?他ではNHKの放送をそのままインタ−ネットで出しているからあれは著作権違反になる。ただNHKは公共放送なのだから多くの人に利用されることが寛容にすべきなのだ。今や放送は全国民的規模で共同制作のようになっているのだ。なぜならプログだって一個の放送局だからこうしてすぐ反応して放送できるからだ。放送の特権は今までは大手メデアしかもつことができなかったのである。だから情報を報道を独占することができたのだ。メデアは権力であり権威であった。メデアに出ることはできない、メデアが放送されるものを選び決めるのである。メデアにでたものはそれで力をえる。特にNHKではそうである。NHKにでたというだけで全国的に権威にもなる。他のテレビなどでもそうである。前は新聞でもそうだった。新聞に出ること報道されることで力をえることができたのだ。とにかく出版でも大手出版社がメデアでありそこからしか情報は出せなかったのである。文学賞なども実際はメデアの宣伝のためでありそれで売れたのである。
 
自費出版にこだわる時代はインタ−ネットで終わった。出版は今までのメデアが力がもっている。二つある取次ぎに承認されなければ出せないとかそれは戦前の検閲時代の延長としてありその入り口を抑えれば思想も統制できる。その前は取次ぎが百社とかあり多様な言論の世界がかえってあったのだ。出版でも作家よりメデアの力の方が大きいのである。インタ−ネットは作家がメデアをもったからその表現の世界が百倍にも拡大化している。創作には表現は制限されるとできない、自由な表現が許される場がなければそもそもできない、出版の世界は本作りからめんどうであり流通になると本屋に置くことすらできない、大手のメデアに流通も抑えられているからできないのである。だからインタ−ネットの時代、自費出版にこだわるのがわからなかった。ただこの人の海外旅行の苦労話をインタ−ネットでちょっと読んだが今はありふれた話だからつまらないものとなっている。海外旅行が一般化しない時代に出版したら売れたと思う。時代が違っているからありふれた話となって面白くないのである。
 
出版の世界とか映像の世界とかこうした電子化されやすいものはインタ−ネットの影響をもろにうける。本はまだ物としてあつかわれる。その物の本もアマゾンなどで流通しやすくなってどんな本でも即座に手に入る時代になった。それより電子化すれば物を流通させる手間暇も金もかからずできるのである。活字には別な効用があるし本にもあるがそれは別な特別なものとして保存するとかのためになる。現実の情報は電子化されるのが便利でありインタ−ネットで競い合う世界になっているのだ。毎日放送することがいかに創造を刺激するかプログをやってみてわかったのである。普通だったらこんなに書いていないからである。
 

写俳−ここにいい写真と俳句がある
http://shahai.exblog.jp/m2007-10-01/

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