2007年11月27日

冬の灯

winterlight.jpg
 

誰がいるや町中の施設冬灯かな
冬の灯や個数少なき町に住む

町中の畑に冬菜の手入れかな

今は極端に狭い範囲で生活している。一年のうち軽く一カ月以上は旅していたから外に関心が向いていることが多かった。近くのことは関心なかったのだ。60になって近くに関心があるというのも変だが現実そうだった。町中にある施設の所はいつも通る。しかし中に誰がいるのかわからない、でもここではインタ−ネットで中のことを報告している。どんな食事を出しているかもでていた。施設は食事では恵まれている。老人用の食事を出してくれるからだ。ごはんが固いとむせりやすいのが老人である売っているおにぎりなども固いからむせりやすい。施設では食事の点では優れている。ある人が食事ができなくなったが工夫したり食事するようになり長生きになった。介護士がそのことでやりがいを感じたと書いてあった。介護のやりがいとはそういうことなのかと思った。工夫次第で長生きになる。ただここに矛盾がある。長生きすることはいいにしても負担がかかることになる。
 
そしてどうしても老人の車椅子を押したりしている若い人を見ると違和感を感じるのだ。老人に若い人が仕えることが普通なのだろうか、そういう社会を経験していないからそう見えるのかもしれない、別に家族がやっていれば違和感はそれほど感じないのだが仕事として老人に仕えて仕事している若い人に違和感を感じるのだ。そういうところに若い人の労力が使われていることに違和感を感じるのである。介護というのはそもそも家族がやっていたのでありそれを仕事として他者がやることはなかったのだ。だからやはりそこに違和感を感じるのである。施設は郊外の人のいない所より街中にあった方がいいという、街の空気にふれるところがいい、景色のいいところでもそこは老人の隔離施設みたいになるからかえって施設を選ぶ場合は良くないというのは本当だろう。街中にあれば回りの人も見ているしふれあいがあるからそうなる。
 
この町も人口は56千人減っているからその数はかなりのものである。冬の灯となると大都会にはもはや冬の灯の情緒はない、ネオンとか真夜中までぎらぎらしている。冬の灯というとしんみりとしている所にあっている。今は電気が真夜中まで皓々として照らしている時代だから冬の灯の情緒はなくなりやすい、こういう小さい町には冬の灯があっている。
 

ここに冬の灯の句がいくつかある
http://park15.wakwak.com/~pchaiku/saijiki/huyu/huyseika.htm

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