2013年08月13日

津波の跡の沼に沢瀉(おもだか)が咲く (津波の跡の不思議なの風景)


津波の跡の沼に沢瀉(おもだか)が咲く

(津波の跡の不思議なの風景)

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向こうの杜は御刀神社

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津波跡残る社に蝉の声

夕蝉や残る社に家二軒
トオスミの朝に交わる沼地かな

沢瀉やトンボの羽音生まる沼


津波跡沼の生まれて沢瀉の咲きて昔の謂われを思ふ


オモダカは、池や沢などに自生する水草で。愛らしい花が咲く。その昔、この植物を「勝ち草」といって、 戦いに勝つことにかけていたという。葉の形が矢ジリに似ている、また、沢瀉威の鎧ということばもあって、「攻めても、守ってもよい」ということから勝ち草とよんだというオモダカは、池や沢などに自生する水草で。愛らしい花が咲く。その昔、この植物を「勝ち草」といって、 戦いに勝つことにかけていたという。葉の形が矢ジリに似ている、また、沢瀉威の鎧ということばもあって、「攻めても、守ってもよい」ということから勝ち草とよんだという


この紋をもっとも広めたのは水野氏だろう。水野氏は清和源氏の後胤で尾張に住み、小川氏といった。その後領地が変わって水野氏を称したが、ずっと沢瀉紋を用いている。小川も水野も水草に縁のある苗字ではある



前にも烏崎の津波の跡に水葵と沢瀉(おもだか)がセットで咲いていた写真を出した。湿地化するとこの花が必ず咲くみたいだ。種が地中深くあったのか不思議である。朝に見たこの風景も実に不思議である。鷺が五六羽は群れていたのもめずらしい。一羽くらいは見かけた。やはり湿地化すると水生生物が棲むようになり餌になるものがでてくる。必ずトンボが増えてくる。こうした湿地は水がありトンボが繁殖するのに向いているのだ。


沢瀉は別に珍しいものではなく湿地が多かった日本には普通に見かけるから武将の紋にもなった。
でもこれが勝ち草などという発想が今なら絶対にでてこない、そもそも植物を花を武将の紋にすることがそぐわない面がある。ただ紋だから一家の紋としては別にかまわない。殺し合いの生臭いものにこの可憐な花が勝ち草などとするのは無粋だとなる。でも戦国時代の感覚は違っている。何でも戦いをイメージするようになっていたからそうなった。ただ水野はまさに水辺に咲く花だから沢瀉の紋がふさわしいとなる。この紋がもともと野馬追いの旗印の起源だから家紋を調べれば旗印の起源にゆきつく。


それにしても不思議な風景である。御刀神社の杜がありあの杜は古い。古代にさかのぼる。江戸時代の前にあの神社があったということになる。海老とか烏崎には江戸時代の神社はあっても古代のものはない、あそこの杜も津波の被害を受けた。古代はあそこまで海か湿地帯だったのだろう。
塩崎の船着とか市庭も古代のものである。神社や地名は歴史の形見として残されたものだった。
あの御刀神社に蝉が鳴いているのもなんとも不思議である。蝉の声は夕方に聞いた。社が残りわずかに家が残り蝉が鳴いている。何か今までとは違う情緒が津波跡に原発事故で生まれた。
あの杜を境にして海よりの家は消失した。社が残り家が残り蝉の声を聞く、しかし家がなくなったらまた別の感じになる。


今年は全国的に暑い、炎暑である。避暑地として沖縄がいいというくらいだからどれほどの暑さかわかる。自分はつくづく暑さにも寒さにも弱いから気候が悪いところには住みたくない、住む条件として意外と気候が大事なのである。福島県でも中通りら会津になる盆地になり暑いから嫌なのだ。
浜通りは海から風が吹くから普通はそんなに暑くならないのだ。阿武隈高原を越えると蒸し風呂のようになっている。それは自転車で海の方に阿武隈高原を越えた時感じた。海の方から涼しい風が吹いてきてほっとしたのだ。こういう経験は車ではできない、だから車の旅は自然を感じるのには向いていないのだ。風を感じることが旅にもなるからだ。現代はまず風など感じない、車であれ電車であれ飛行機であれ風を感じない、だから便利でもロマンを感じないのである。帆船などは風を感じるからロマンを感じる。鳥でも蝶でも風にのって飛んでいるから気持ちいいのである。


浜通りは退職世代の田舎暮らしには原発事故では向かなくなったが気候的にはいい、今年は33度になったのは一回であり32度までしかならない、だから二階は暑いのだがプログも書けている。32度と33度の差が大きいのである。だから34度35度になると人間の活動が停滞する。熱中症で死者もでてくる。41度となるとも想像を絶する。逃げ出したくなるだろう。今年はこの辺は気候的には楽である。
浜通りは避暑地としてふさわいしのである。東京からも近いから余計にそうなる。これだけ暑いと気候的にいいとして避暑地として見直されるかもしれない、気候もこれだけ変わるとやはり社会まで変えてしまうこともある。天変地異が社会まで変えてしまうのである。

人間の住みよい場所の条件としていろいろあってもその土地の人間がどんな人たちかというのもある。小高の人はいい人が多く鹿島は悪いというのは本当かもしれない、土地によって人間が相当に違うがこれは長く住んでみないとわからないだろう。ただ住みよい場所として気候が大きなウェイトをしめる。福島県でも福島市や会津でも住みたくない、夏は暑いし会津は冬は雪に閉ざされる。そしたら自転車で買い物もできない。生活すらできなくなる。避難して浜通りにもどりたいというのはそうした気候が影響しているのである。

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