2013年08月02日

カボチャの花(養蚕した兜造りの家が結構残っている)


カボチャの花(養蚕した兜造りの家が結構残っている)

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この家を近くで見たのが下の写真と絵にした写真である。
(六号線-八沢浦付近)

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日立木へ入る道

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ここには隣り合って二軒兜作りの家がある

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日立木の碑-字に注目

カボチャの花薪積む家や旧家かな
碑の埋もるカボチャの花や馬頭観世
蝉の音のひびきて暮れぬまちば橋
城跡や曇りてひびく蝉の声
 

雷のときに「くわばら、くわばら」というのも、雷神(火雷天神・菅原道真)に対してここはあなたの領地の桑原ですという意味があるという説もあります。
ちなみに京都には京都市左京区、中京区、丹南市、向日市に桑原とつく地名があるようです。
ともあれ、桑には雷が落ちないということから、雷神(天神)は桑(蚕の餌)には雷を落とさない→天神は蚕を守る、と関連づけることが出来るかと思われます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1287419592


これは知らなかったな、この碑は日立木にある。良く見ると養蚕をした家は結構相馬藩内でも残っている。これは全国的に残っているがこの辺でも残っていた。ただ良く見ていなかったのである。
養蚕は大正以後に絹製品が輸出製品となったので全国どこでも盛んであった。時代は新しいからまだ兜造りの家が残っている。

自分の子供のときも裏の畑は桑畑だった。桑原まではなっていなかった。麦畑と交じってあった。
京都でも桑原という地名があるのはそのためである。

ともかく養蚕した家を見ると何か生活感を濃厚に感じるし土着的なものを感じる。養蚕は桑が必要であり農業でもあった。そして地元で生産して工場も地元にあった。極めて土着的でありその土地と農家と工事が一体になっていたのだ。自分の母方の祖父が機織り工場を経営して失敗したのもそのためだった。


今は農家でも農家らしくない、写真にとったのは六号線沿いでありこれは今までわからなかった。
これはいかにも古い家であり何か絵になっている。生活感がにじみでている。いかにも農家らしい。これは新しくなると農家らしくなくなり普通の家になり区別がなくなる。
曲屋なども会津で見たが昔の家はやはりそれなりの生活の重みがあった。今は農家でも何か生活の重みが感じられないのだ。機械で農業していると何か田んぼでも畑でも工場のようにも見えてしまうのである。農村的田舎的風景があるとしたらそこに養蚕をしていたような生活があったからである。
そうした生活が風景も作っていたのである。風景は人間が作り出したものでもあった。松原もそうだった。そこに生活があって風景が作られていたのである。


今年の天気は変である。梅雨が長く寒いくらいだ。一方で西では三五度とか猛暑である。こういうのもめずらしい。夏は夏らしい気分を味わいたい、でも三五度になったらもう夏は嫌だとなる。
自分は暑さにも弱いから暑い所には住みたくない、浜通りのいい面は暑く寒くもないということだったのである。気候的にはいいところだった。

 


 

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