残された北海道の一枚の写真
(写真はあとで貴重になる)
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ここが北海道のどこかわからなくなった。最近ずといろいろなものを整理していた。ンも整理して半分くらいなげた。結局本も利用しなかったら何の価値もないのである。ただ集めて飾っていても野役目は果たしていない、ただ本が蔵書が必要だったのはどうしても辞書のように参考するものを置いていないと文章が書けないからそうなった。そこに図書館の意味もあった。参考にするを資料など全部揃えられないからだ。
それにしてもまずこの山はおそらく羊蹄山の麓の写真なのだろう。いかにも北海道らしい雄大な景色である。この写真をとった記憶も全くなくなっていた。この写真をみていい写真だなとつくづく思った。デジカメなどない時代だからこれは大きなプリントにしていたのはやはりいい写真だったからかもしれない、ただこれは本当に自分でとった写真なのか不明なのである。雑誌の写真を拡大化したのかもしれない、でも大きなプリントにするというのも解せないのである。
一枚の写真は実は多くのものを語って伝えることがあった。これは風景だけだけど人間が写っているものがそうであった。自分の家の子供の頃の写真を発見した。その写真は本当に不思議だった。
それから死んだ姉の写真もいろいろあった。とくに昭和15年にとった看護婦の写真は貴重である。なぜならその頃白黒写真だったからである。それもぼやけてくすんで汚くなっていた。
人間は死ぬと思い出すものは写真だけになる。その写真をみていると本当に不思議である。
こんな人だったのかとか思い出す、写真で問題だったのは日にちと場所がわからなくなっていたことである。これが意外と写真の盲点だった。日にちと場所と名前を書いておくと写真は貴重な記録になる。
現代はデジタルカメラで膨大な写真が記録されているからそれが50年後とかになるとかなり貴重なものとなり記録がよみがえる。人間にとって記録がいかに大事か、津波で思い知らされた。もし一枚の白黒の写真でもいいから400年前にあったらどうなったか?つたない絵でも残されていたらそんなことあったのと注目したに違いない、ともかく現代は写真で時系列にも記録される時代である。
人間ほどわすれやすいものはない、すでに母はぼけていて写真を見せてもわからなくなっている。
もう自分が経験したことも誰が誰なのかもわからなくなっている。たいがい90すぎたら認知症になってしまうからだ。記録が消えてゆくことは実は人間の死を意味していたのである。記憶していれば過去も生きているし一緒に生きた人たちも生きているのだ。忘れればもうその人たちも生きていないのである。
ただあまりにもくるしい人生だったというとき忘れることも必要である。嫌なことは忘れた方がいい、でもいいことも忘れるから困るのである。と
ともか北海道に十回も行ったからいろいろ記憶されているはずだが忘れてしまうのである。
だから思い出す作業をしているときこうした一枚の写真でも残っていると記憶がよみがえってくるからいいのである。