2013年07月08日

朝も虹がたった(草原の虹となった景色)


朝も虹がたった(草原の虹となった景色)

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燕飛び草原に虹朝明けぬ

草原の雨濡る朝や虹たちぬ
早朝や切れ目なき虹我が望む
老夫婦消えゆく虹の名残かな
大望や鳥の翔けゆく朝の虹
朝早みでで虫歩む雨にぬれ


長々と虹のかかりて消えざるや歩みの遅しでて虫一つ

朝夕に虹たつ見れば幸いの重なりゆくと心はずみぬ
朝早み草原に鳥ゆうゆうと翼を広げ餌を見つけぬ


5時ころ朝また虹がたった。今度の虹は完全に弧を描きかかっていた。こういう虹を見るのもめずらしい。たいがいどうしても切れている虹が多いのだ。こんなに完全に虹を見たのは最近なかった。特に朝には虹が見にくい、浜通りは夕方に見やすい、何か自分は苦しみの六年間がすぎていい方向に向かっているのかもしれない、虹は契約の虹であり願いがかなう約束の虹だからである。
自分のかかわった人間は本当に異常な人たちだった。それが不幸であり苦しみをましたのである。もう一人またそうした人と会わねばならない、ただそれも今回でけりがつくかもしれない、因縁はやはり簡単には切れないのである。悪因縁は長くつづくのである。

虹を見ることは何かの吉兆である。たまたま起きていたから見れたのも偶然とも言えない。
自然はやはり注意して見ていなと美を見逃してしまうのだ。シャッタ-チャンスを見逃してしまう。
やはり何事集中しないといいものはとれないしいいことはやってこない、みんないろいろな雑事や様々な欲にかられて自然の美が見えなくなっているのだ。


この辺の景色は田んぼが草原化していることで今までは違った景色となっている。草原はモンゴルの草原が有名だけどそれと少しはにている風景である。モンゴルとは比べようがないにしても草原の景色なのである。写真に写った家にしても草原の家に他の人は見てしまうだろう。
モンゴルの草原でこのくらいの虹を見たら感動するだろう。モンゴルではなかなかこうした虹は見れないだろう。


自然は刻々変わっている。時間単位でも変わっているし千年単位でも五百年単位でも大きな変化がある。今回の津浪がそうだった。5百年千年とかなると大きな変化が自然にはあるのだ。それを思い知らされたのが津浪だったのである。その5百年とか千年の大きな変化に人間は対応できないから原発は危険だったのである。それでもこりずに原発をつづけるのはなぜなのか?もう電力会社が原発なしではなりたたない、収入がなくなる、その恐怖の方がまさっている。現時点ではそうなってしまう。一旦便利なものを使い始めると人間はとめられないのだ。それは何でもそうである。電気もとめるわけにはいかないし車も使わないで暮らせなくなっていると同じなのである。だからこういうものは初めに使わないようにしないといけなかった。それが誤ったのである。あまりにも安易に日本のような地震国にとりいれてしまったのである。

 
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