2013年07月06日

津浪に残った二本の樹(詩) (原町区で津浪の被害者の取材で殴られた?)


津浪に残った二本の樹(詩)

(原町区で津浪の被害者の取材で殴られた?)

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津浪に残った二本の樹

二本の庭の樹の二年過ぎて
枯れんとして枯れず残りぬ
その樹の離れがたく
あたかも老夫婦の如く
津浪の跡の荒野に残りぬ
津浪の傷痕深く
数多の人の命奪いゆぬ
涙はここに流れ嘆きは尽きじ
木の根っこのように
江戸時代の社の残り壊滅したる村よ
なお人のここに生きむとするや
凄まじき津浪の猛威を語りつ
二本の樹は離れがたくここに残りぬ
(我が子の津浪に死すと悲しかな海をながめつ年は巡りぬ)



元朝日新聞記者の烏賀陽弘道さん、福島の被災地に取材で暴行を受けたとツイートするも当事者に反論される
http://togetter.com/li/524179?page=2

他から来た新聞社の記者が原町区の津浪被害者になぐられたという。何があったのか?やはり被害者の心証を害すようなことがあったのか?新聞社も人の被害者や事件起こしたとか災害地域でも土足で家にあがりこんでくるようなことをする。まるで特権者のように横柄に振る舞うことがある。
何かここて泣いて下さいとか場面を作りをする。だからそうしてテレビ局や新聞社に作られた映像が流される。お涙頂戴のどうぞ同情してくださいとかの映像は今回は嫌というほど流された。
そこには被害者の本音とは違ったものともなっていた。
テレビとかテレビ局で作られた映像が流される。涙流さないと絵にならないんだよとかなる。
そもそもそういうところに取材にゆくことが自体はばかれるものであった。
家も流され家族も死んだとなるとそういうところに行って声かけるのもはばかれるということがある。

自分も美しい八沢浦がよみがえったと写真を出してプログで書いたらコメントとしてお前はあそこで死んだ人のことをどうおもっているのだ。子供の死体まで泥から掘り出した人のことを考えてみろとコメントがあった。確かにそういう反感を買うのも当然だったかもしれない、家族が死んだ人いたらそうなるのが当然かもしれない、ただ自分が言い訳するとそもそも自分は郷土史を研究していた。
そして美も探求してきた。だから八沢浦が入江だったらどんなに美しいだろうと何度も想像していたしそうした合成写真も出していた。それから湿地帯であり低地だったとしたところは今回は予想通り海水にひたり海になってしまったことに驚いた。津浪が証明してくれたのである。

海老とか烏崎や磯部などは家が多く壊滅したからそこが美しいとはならなかった。しかし八沢浦は確かに死んだ人もいたが海水が入り込んだところには家は数軒しかなかった。回りにはあったがほとんど田んぼの所が海水につかった。だからガレキの山のようにはならなかったのである。

確かに崖の所で一家三人とか死んだ家があった。それは八沢浦の田んぼではなかった。
お前は人が死んだのに喜んで写真をとっていたのかとかなるが自分としては驚嘆すべきことだから写真にとった。その時自分は病気であり管を体に入れていたのだから自転車に乗ることが苦しかったのである。ただどうしても見ておきたいと一度だけ見て写真をとったのである。
今思うと津浪の写真でも刻々状況は変化しているからその時写真をとらないと記録としてはわからなくなる。記録として残すことも郷土史からも必要だった。
今では右田の松原の写真などがただ写真だけでしかみれなくなったから貴重である。
そしてプログをこうして毎日書くのも家事から介護しているのだから大変なのである。

正直その後も湿地帯化してそこに沼ができたり水葵が咲いたり今でも大きな沼が生まれてトンボが飛んでいたりと自然と原初の状態にもどったことに驚いた。明かにトンボは増えている。原初の状態にもどれば自然の生物も増えてゆく。ただ蝶は増えていない、減ったように思う。
津浪の跡に蝶が異常に増えたことがあった。そういう現象は今は起きていない。


ともかく津浪や原発事故でこの辺はまるで映画が現実化したような世界になっている。その変化には未だに驚くべきものである。海老でも家がなくなりそこにクロ-バ-がおおい黄色の花が一面にまぶしく咲いていたときはきれいだと思った。それは北海道で見た風景だったのである。
例えば防波堤が破壊されて白い波がうち飛沫き砂浜と化した所によせる、何かその時原始の力を感じた。自然は何か歓喜しているように感じた。野生の力をとりもどして歓喜しているように思えたのである。そこでかなりの人が死んでいるからまた不謹慎だとなるが自分には自然が本来の野生を取り戻して歓喜しているように見えたのである。


この辺ではいろんな変化が激しすぎたのである。それになかなか対応できない、避難している人だってそうだし津浪や原発被害地域はみんなそうである。混乱状態が未だにつづいているのだ。それだけどう対処していいかもわからなくなっている。ただその時々を記録として残していればそれが後の資料的価値がでてくるかもしれない、そんなこと不謹慎だといわれてもそれが正直な気持ちだからどうにもならない。ただ被害にあった人は家族を失った人は海の見方が変わったことはいえる。
海がこんなに酷いことをするのかと海をながめているだろう。
その傷痕はあまりにも深すぎたのである。

 
 
 
 
 
 
 
 


 

posted by 老鶯 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
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