2013年07月04日

仮設の食堂で話す(人の出入りが激しい南相馬市)


仮設の食堂で話す(人の出入りが激しい南相馬市)


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十輪ほど外に華やか夏の花
六号線増えて飛び交う夏燕
雨しとと紫陽花濡れて介護かな


夏の鳥高き電線にとまりなき新しき家またここに建つ

わが町に人の出入りの激しきや燕とび交う夏の夕暮
わが町に花屋の開くとりどりの花見つ暮れぬ変わる街かも
蟻に虫蚊の襲いくる台所仕事に追われ介護するかな
野良猫の二匹の住める界隈や時にえさやりそれも忙し
自転車に買い物すれば襲いくる烏にあれや魚の惜しも
時に花雨に打たれて梅雨なりき外に飾れる花を思いぬ


鹿島はもともと寂れた町だった。通りに店屋などほとんどなくなっていた。それが震災以後小高の人が仮設に住んでおそらく3000人くらい増えたのかもしれない、だからやたら小高の人のみが目立つのである。街がにぎわうにはやはりつくづく人口だと思った。3000人増えると街に活気が出て消費がふえるのだ。サ-ビスする種類も増えてくる。だから都会ではかえって人口が多いから各種のサ-ビスが受けられるのである。また競争が激しいから新しいものが生まれやすいのだ。

まず人の出入りがこの辺は激しい。まだ外部からも工事関係で入ってきている。今日仮設の食堂にいたら菓子折りをもってきて挨拶に来た人がいた。仮設で花屋をやっていたところに整体師が入るので挨拶に来た。その人は岩手県なのだけど妻が原町の人で仕事をはじめることにした。出てゆく人もいるが入ってくる人もいる。かえって鹿島区は入ってくる人が多くなったのである。

だからこぎれいなモダンなアパ-トがかなた建った。百人も収容できる感じである。新しい家も次々に建っている。津浪で家を流された人や大熊の人も建てたという時、家を建てることが多くなった。だから相当な変化でありこんなことになるとは思ってもいなかった。

花屋は二人も人を雇っている夜討ち大きいしペットの病院もできた。3000人増えるとそうした需要が増えてくる。ただ小高は元のようにはもどらないだろう。鹿島に移る人もかなりいるだろう。その変化も大きい。小高でも鹿島でも合併して今になると損したとなるのは小高には小高の事情ができて鹿島には鹿島の事情ができた。だからなにか要求するのにも統一してできないのである。
そして原町だけが復興の中心になり得をしているというのは本当だろう。どうしてもそうなりやすいのだ。それから原町の市長も評判が悪い、左翼系統で反対する運動では力を発揮するが実際の政治の能力はなかったのである。相馬市の方、自分の専門の病院ばかりに力を入れていると評判が悪い。

こういうときはやはり私益を優先すると批判されるだろう。結局相馬はどちらも指導者がいないから混乱して復興が前に進まないということがある。こういうときはやはり強力な指導者がでないとまかせないと実際に物事が進まない、あれやこれや言っていても実行力が大事になる。それが欠けているから復興は進まない。でも民主主義はそういう指導者を作ること自体むずかしい仕組みなのである。
ともかく自分もずっとこの六年間家のことで追われている。家事一人で介護まですると手一杯になる。そこで今は蟻とか蚊とか虫が湧いて悩まされる。烏に後ろの荷台に積んでいた魚をとられた。

烏はじっとしているようでも餌をねらっていたのである。動物も鳥でも何でも生きるに必死だとなる。

兄の墓の問題はなんとか東京の親戚が来れば一応かたづくだろう。この墓の問題もめんどうなのである。結局墓にこだわるより供養が大事である。供養しないとそれが災いになるから恐いのである。

墓があるなしではない、供養が大事なのである。鹿島区に107才の女性が生きているというのも時代である。100才も十人くらいはいるだろう。90以上になると百人はいるだろう。そういう超高齢化時代であるが107才となるとさすがに話題になる価値がある。

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