終日を海に向いて椿咲く
camellias bloom open
in front of the sea
all day long
白波のよする磐城の浜により石蕗(つわぶき)の葉と椿咲くかな
夢で俳句を作っていた。時々夢の中で俳句作ったりするのは昼間の延長が夢のなかまでで継続しているのだ。椿は南方系の花であり日本列島そいに青森辺りまで咲くようになった。終日海に向かって咲いているというのがにあっているのか?海石榴(つばき)に海をあてたのもそのためなのか?
柳田国男の「豆の葉と太陽」の中の
「椿は春の花」(昭和16年)の紹介
北の海岸線沿いに椿の群生がなぜあるのか
日本人が千何百年の間に海岸線を北上してゆくときに携えていった
象徴として椿にまつわる伝説
八百比丘尼(若狭の空印寺の洞穴にすむ)、
禁断の霊肉、人魚の肉を食べたため、八百歳まで生き、
杉やイチョウなどの木、特に椿の枝を全国に植えて回ったという
残された像は、花の帽子をかぶり、手に白玉椿の小枝を持っている
行く先々で神意をト(ぼく)した霊木
特に雪国では春を告げる木
『万葉集』にすでに、木に春という字が用いられている
八百比丘尼の宿り木は椿であるが、
その背景には熊野比丘尼たち、
廻国の霊能巫女(みこ)の姿が浮かぶ
海人族のもたらした
椿にまつわる聖樹信仰
海沿いに椿の群生を広げていったまれびと訪人伝説
つわぶきは秋に咲く、これも南方系であり日影を好むというのが特徴か、椿の北限は青森である。磐城はここより南で南国的になるのだ。あそこに熱帯魚が来ていてそれを千葉県から探しにきた人がいたのだ。毎年来るとか確かに小さな熱帯魚が岩礁にいたのだ。鹿島町は車輪梅の南限の地になっている。磐城はここよりまだかなりあたたかいし同じ浜通りでもあたたかい感じになる。