墓の跡継ぎは簡単になれない
(怨霊となることもあり責任が重すぎる)
跡継ぎがいない
親戚の墓を将来面倒を見てくれ
と言われましたが
かなり遠方です
遺産を貰う訳でもありません
安易に引き受けないほうが…
友人にはと言われました
何か アドバイスをお願い致します。
とんでもない事です。
これからは子供のいない人も多くなるし、いたとしても子供に負担のかからない永代供養墓を選ぶ人さえいます。
質問者様が善行のつもりで是非やりたいのなら仕方ないですけど、関わらない方が身の為だと思います。
遺産もくれないのによくもこんな事を頼めるものですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317218823
還暦すぎるといろんな問題か人生の総決算のようにでてくる。墓の跡継ぎ問題もそうである。人が死んだら普通はかわいそうだからとその人がどんな人であれ思い供養する。墓も立派にすれば供養になると思っている。自分もそう思っていた。でも墓は相当にめんどうなものである。前にも書いたけど墓は簡単にモノのように片づけられない、一旦墓に納めるとそうなる。そこに何もないわけではない、骨壺にまだ骨が残っているかもしれない、すると簡単に捨てるわけにはいかない、墓があるかぎり誰かかが供養し続けねばならない、現実に墓地には必ず無縁仏がありそれらが集められて供養されているのだ。その墓地に来た人がその人と関係なくても供養したりしている。墓は簡単に捨てることができないからそうなっているのだ。墓の跡継ぎになってくれというのはモノの跡継ぎではない、建物の跡継ぎでもない、死んだ人の何なのか?骨を守ってくれということでもない、骨はやがて土になってしまう。すると墓とは何なのか?それは死んだ人がなお生き続けている証だともなる。霊魂がそこに宿っているともなる。モノだったら簡単にかたづけられるが霊魂か宿っているとしたら簡単に他人だって片づけられないから無縁仏になっても捨てられず墓地にあり供養することになる。
つまりそれだけ墓というのは他のものとは性格が違ったものであった。それを意外と自覚している人が少ないというよりある年にならないと自覚できないのである。人間の問題は自分のことになると自覚できるが実際にそういう責任をもってみないといろいろなことがわからないのだ。つまり墓の意味が何なのかわからなかったのである。
東京だと別に墓がなくても格安で納めることができる便利なものがある。そこでともかく供養すればいい、それでも供養しているのだから罰はあたらない。つまり墓の問題は墓というモノの問題ではなく供養するということにある。それは死者への畏れなのである。死者が祟るというときそれはわからないにしろ不気味になる。死者というのは何かわからないからだ。死んだら何もないとされないのが人間の死なのである。だからこそ戦死者を供養しているのはそのためである。国のために戦った、それが間違いにしろ死んだ人たちは命をかけたのだからそう思っている。それを無視できない、もし無視すれば怨霊ともなることが恐いのである。だから本当に死者とか墓の問題は実際は相当にやっかいなものだった。それを自覚していなかったのである。
●怨霊となり祟りとるな死者の恐さを考えるべき
死者の問題が墓の問題がやっかいだというときそれは生前とも通じている。例えば生前に親族でも恨みを残して死んだ人がいる。介護でも冷たく扱われとかなるとそれを恨みに思い死んでゆく人もいる。それは親子の間でも起こる。だから介護の問題もめんどうなのである。親が恨まずに子供に感謝して死んでくれればそのあとの供養も楽になるのだ。そうでないと恨みを残されると死んでからまた墓参りするのだからスム-ズに墓参りして供養できなくなるのだ。そういう人を実際に親戚で知っている。その人は親にひどい仕打ちをした。自分はあまり関係していないからわからなかった。だか最後になってわかったのである。その人は本当にひどい人だったのである。あまり関係していないからその親の方がひどい人だと思っていたのだ。実際はその子の方がひどい人だった。何らか病気になったときもひどい仕打ちをした。「だからひどい人だ」と言って死んだ。それが死ぬ時ようやくわかったのである。明かに子供に恨みを残して死んでいったのである。それは他の人にはわからない、長く患わないで死んだので他からはわからない、たまたま自分の家では最後の一本の電話でわかった。
「ひどい娘だわ」と言ってきてすぐに死んだのである。そして自分の家にも信じられないひどいことをしたからそれに納得したのである。それでも母親だし父親も埋まっている墓に墓参りする。
そうなると墓参りする供養するのも苦しくなるだろう。墓に埋まっている人が恨んで死んだからである。それが墓として残っているから墓がめんどうなのである。具体的なものとして残っているからだ。恨みが墓として残ったさえなるからだ。でも墓を捨てるわけにもいかないし供養しないわけにはいかない、それで墓の側に「怨霊供養」という立て札をみかける。それは家族内で恨みを残した人の怨霊を鎮めるためのものだろうか?一般的に歴史的に怨念を残した人は無数にいるから今でもそれを祀り供養している。家族内でもそういうことがありそうしている。不慮の事故とか怨念を残した人は成仏していないからこの世に恨みと怨念を残しているから祟りになる。そういう人はおそらく「なぜ自分が死んだのだ」ということもわからないかもしれない、なぜなら突然の死だから自覚されない死だからそうなっている。それでこの世に執着してさまよい祟りになるということもある。こんなこと迷信だといえばそれまでだが何か不気味なものを理屈なしで感じるからおろそかにできないのである。
●墓の跡継ぎには簡単になるべきではなかった
そしてその人は家がなくなった実家の墓をひきついだ。それは300万で実家の長男だった人に頼まれたのだ。「墓を守ってくれ」というのが遺言でありそれを頼まれたのである。子供もいるから頼まれたのだ。その人は300百万でももらえるからいいと軽く思ったに違いない、自分は頼まれなくて今は良かったと思う。墓参りはするにしてもその後まで延々と供養することは大変なことになる。その後の霊と化した墓の責任を持つことは容易なことではない、何故ならそれはモノではないからだ。墓を粗末に扱いば祟りがあるとかなってしまう。「墓を守ってくれ」という声がのしかかってくる。これは本当に冗談でなくてあまり責任が重いものだったのである。だから3百万で引き受けるようなものでもなかった。これはいくら金がもらえると引き受けることができるようなものでもなかった。でも金がもらえるならと安易に引き受ける人もいる。でもそれを安易に今度は捨てたり供養しないと恐いとなる。祟りがあるとなれば簡単にモノのように始末できないのである。
だから今回自分は兄の墓は供養は娘に責任があるということで金を払いまかせることに決めた。
まともな娘ではないのでそれもしないことはわかっている。でも死んだ父親の父親も事故で死んでいる。二代にわたり事故で死んでいるのだ。それが不気味なのである。だから供養の責任は一応娘に言って自分に責任はないことにしてもらう。地元に住んでいれば別だが東京でありもともと交流もなかったのだがらどうにもならないのである。その娘はそんなことをしない人とわかっていても自分には責任はないということだけは言っておく、自分に墓の霊魂の責任をもたされることはできないのである。祟りまで引き受けることはできないのである。ともかく墓の跡継ぎ問題などは本当にめんどうでありそれを自覚している人が少ないのである。