2013年06月06日

ベ-シックインカムは可能なのか (人類の理想は自ら価値を求めて働くこと)


ベ-シックインカムは可能なのか

(人類の理想は自ら価値を求めて働くこと)


ベ-シックインカム研究所
http://blog.basicincome.jp/


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生産性が上がり効率化された日本の土地の利用


●戦後十年までは貧乏のどん底だった日本


そもそもベ-シックインカムということが本気で論議するようになったことだけでも現代の豊かさを象徴している。人間の歴史は労働の歴史でもあり労働によって酷使されてきたのである。労働は人間に神から呪いとして課せられたという労働感もある。そうした呪いの労働の解放が実現されるとなるとそれは人類の理想の一つが達成されるともなる。それを可能にしたのは一面現代の文明だというのも確かである。例えば高齢化でもすでに65才以上の人が四千万いるとかなるとその人たちは年金とかで働かない人でありさらにニ-トとか無職の人が普通にいる、働かないでも暮らせる社会が現代なのである。高齢化も働かない人がこれだけいるのもありえない社会だった。

貧乏は戦前から戦後十年まで延々とつづいていた。日本の戦争の原因だって満州に農民が土地を求めて移住したことからはじまっている。日本は狭いからもう開拓する耕地もないからそうなった。
人類史上これだけの豊かさを実現した時代はなかった。特に日本は江戸時代であれ明治以降から戦後十年までは貧乏しか経験していな人が大多数だったのである。戦争だって東北の農民は白い飯が食えるからと志願した人さえいる。戦争の原因が貧乏でもあったのだ。だから日本は豊かさの欲求が激しかった。アメリカに戦争で負けたのも貧乏国だったということを負けて知ったのである。

アメリカは日本では考えられない豊さだったのである。

それは日本の養蚕業が絹織物が戦前はアメリカの輸出品となっていた。それはアメリカでは贅沢だから輸入できた。日本ではその絹製品を使用できない、みんな貧乏だから安い綿の着物とか着るものでも貧しいものだった。女工哀史などあるのもそのためでありその絹の輸出製品で外貨をかせぎ軍事費に使い戦争で使われただけだという人もいる。こういうことは後進国では今も起こっている。アジアでも貧しい国ではエビを養殖しても自分たちは食べられないとかそういうことはいろいろある。
輸出するものがないからそうなる。日本は資源もないし輸出するものがなかったのである。
その輸出するために女工哀史が生まれた。なんかよくわからないけど母も原町紡績の(原紡)で働いていて昼の休みが30分しかなくその時遊びたくて早食いした人が病気で死んだという。それだけ休み時間が待ちどおしくてそうなった。ゆっくり食べていたら30分で休むことすらできなかったのである。そういう貧乏のことは何度もプログで書いてきた。


●技術の発展で人間は働かなくても良くなった


人間の労働感は高度成長経済をへて相当に変わった。豊かさをもたらしたのはいろいろあるがやはり機械化とか技術の発展があった。アフリカ辺りで貧乏なのは広大な土地をもっていてもその土地の生産性が極端に低いのである。日本では戦後、米の収穫量が増え品質が良くなったのはは技術の発展のためだった。土地が狭くても前より何倍も米の収穫量でも増えたから減反までなった。だから農家では野菜とか果物とか花の栽培とか商品性が高いものを作らないと生活していけなくなった。米だけでは農家はなりたたなくなった。それはあらゆるところで技術発展の影響を受けたのである。情報分野でも目ざましい革新があった。新聞であれ本であれこれを出すのには設備もかかり金がかかるから簡単にはできないものだっ。本だって一つ一つ活字を拾っていた時代があった。そうした分野の技術者がいてもてはやされた。そんな時代があったが電子化で活字の時代など終わった。今はこの分野では何十倍の効率化をしている。文字が電子化してIT化すれば何十倍の効率化であり一人の人間でも新聞社やテレビ局や出版社にでもなれる時代なのである。


そういう自分がこれだけ忙しいのにプログに写真まで出してやれるのはIT化だからできているのだ。家事から介護からやっているのだからもしパソコンやIT化していないならできない、だから自分は今一人で3,4人分の労働をしている。暇なく絶えず何かをしていてそれでもこれだけ書いているからだ。それができるのはパソコンで書いているから忙しくてもその暇になんとか書けるということがある。そもそも家事だけで昔は一仕事であり一人がかかりきりでないとできないものだった。
その家事もやり介護まで一人でしているのだからすでに三四人分の労働をしているのだ。
そして現代では4千万人が働かないように働かない時代である。この辺でもそれが顕著に現れている。仮設に入っている人が3千人とかいたとしてもその人たちは補償金をもらっているから働かない、
それからゲ-トボ-ルとかパ-クゴルフとか健康な老人も働かない、東京まで競馬に行ってギャンブルしているしこの辺でもまた競輪のサテライトが開設される。パチンコが繁盛しているようにギャンブルが暇で金がもっている人が増えるから繁盛する。まさに原発避難者は働かないことで批判されているけど金があれば人間は働かない、そういうことが原発事故周辺では起きている。
それも豊かさの象徴であり極端化してこの辺が問題になったのである。


●すでにベ-シックインカムが現実化している時代では?


ベ-シックインカムになったら働かない人が膨大に増えて経済が成り立たないというけどそもそもすでに高齢化で4千万人が働かない時代は現実にそうなっているのではないか?確かに高齢化社会だからそうなっているが人間が技術の発展による機械化や効率化でそういう高齢者でも生きていける高齢者医療のために膨大な金を使っていて若者から批判されている。昔だったらとても無駄な老人は養えないからうば捨て山があったとか間引きがあったとかなる。それよりも老人はみんな早めに死んでいたのである。でもよくよく考えてみると介護士とかの仕事ができたのも現代の豊かさを象徴しいるのだ。それだけの介護する余力があるからそこに回す経済力があるからそうなっているしその医療とか介護福祉分野での仕事が増えて働く場を提供しているのだ。技術の発展で失業した人も膨大なのである。家事も機械化したから女中は必要ないし事務もパソコン化したら必要ないしとか自動販売機で売り子もいらないとかいろんな分野で機械化して人手を省いているからだ。そこで介護分野に仕事があるとなりそこに就職できる。それが若者がするべきものではない、無駄だといっても他に仕事がないからそこで働く人もいるのである。機械化されて人間の仕事がなくなるからそこに仕事が生まれた。そして介護関係の仕事は極めてもの作りとは違って人間と人間が向き合う人間的な仕事でもあるのだ。そんな老人の世話なんか無駄だというのも言える。では失業した人たちの仕事かどこにあるのかとなるのだ。

いづれにしろ原発事故周辺で起きていることは何か未来を先取りしたような地域になっているのだ。

●働かないで暮らせる人が膨大に増える
●自ら価値を見いだせない人は働かない
●介護する老人が他より増大している
●自然エネルギ-地帯を目指す(ソ-ラ発電)
●米以外の産業の振興
●花栽培などは放射能に汚染されないからできる
●津浪で住めなくなり市町村がコンパクトシティ化ししている
・・・・・・・・・


他にもあるが津浪や原発被害地は何か価値の大きな変化を求められているのだ。何らかの発想の転換が求められている。だから何かの特区にしようとするのもわかる。自然エネルギ-特区とかコンパクトシティ化とかは他でも言われてきた。花栽培というのもこれは盛んになってもいた。
つまり豊かな時代は文化の時代だから花の需要が増えるということもある。「森の花屋」というのが鹿島区の六号線にできたのも新しいことだった。あれだけ大きなものができれば何か心が豊になった気分になった。

オランダでチュ-リップバブルがあったけどそんなに花に価値があるものかと思った。でも豊かな時代には文化の時代となり花にも価値が生まれてくる。米など食糧は余っているとなるとそうなる。
つまり一つの土地が米をとり野菜を栽培してその余力があるから花の栽培にできるのだ。花を楽しむこともできるのだ。土地の効率的利用ができる時代だとなる。今までだったら全部田んぼか畑にするほかなかったのである。だからそういう点で働き方も変わってくるのである。


ベ-シックインカムの悪い例が原発事故周辺の市町村
(補償金で誰も働かず市町村は衰退、荒廃、消滅?)
http://musubu.sblo.jp/article/68953271.html

posted by 老鶯 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題
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