2006年05月14日

老鶯の句のまとめ(楽隠居は現代ではボケに通じる)

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月山や老鶯鳴いて登山かな

老鶯や隠れて釣りの一人かな

老鶯や親子の釣り人日曜日

老鶯やあわれ田舎にいつくかな

老鶯に蛙の鳴くや田舎かな

老鶯やベンチ四つ空きてあり

老鶯心ゆくまでなお鳴きぬ

老鶯や孟宗竹の林中

牛啼いて老鶯鳴いて飯館村

昼寝して老鶯の声今日も聞く

老鶯や釣り人一人松の影

老鶯や四阿屋二つ川の岸

老鶯や隣の市に二里の道

老鶯やまた四阿屋のふえにけり

老鶯や旧家に残る書画の類

老鶯にかぼちゃの花や田舎道

老鶯や認知症も癒されむ


・・・・・蕪村が滞在した旧家・・・・・・・・

NHKの日曜美術館の蕪村の絵の紹介は興味深いものがあった。蕪村があんなに旅したことを知らなかった。茨城県の下館の庄屋のような中国の書画が置いてある農家に奇遇していた。蕪村がなぜ日本人に好かれるのかというと江戸時代のいい部分を芸術化したからである。そこに貧しくても自然と調和した日本人の生活が今になれば絵のように展開していたのだ。コンクリ-トジャングルとか全然違った本当に夢のような汚染されない世界があったのだ。その中に江戸時代の安定した豪農があってそこに養われる豊かさがあった。蕪村が比較的豊かな生活ができたのは絵のおかげである。俳句だけでは食うのにも困る。一茶がそれを証明している。

古庭や鶯鳴いて日もすがら 蕪村

蕪村があの農家で作った俳句だとわかるとなるほどなと思った。俳句とかはその場所と深い関係があり背景を読み取らないと鑑賞できないのである。あそこで日もすがら中国の水墨画を模写していたというから本当にそういう生活だったのだ。蕪村の句がなぜ平凡の中に味わい深いものとしたかというと江戸時代の貧しい生活そのものが今から見ると極めて日本人的な自然と密着した味あい深い生活だったからである。もしそうした生活そのものがないなら蕪村の句もなかったのである。その時代を写したものでありその生活がそのものが自然の四季の中に生きる日本人の姿が美になっていたのである。

老鶯や旧家に残る書画の類(自作)

東北より茨城でも江戸に近いところは豊かな農家があった。旧家が多かった。これが関西辺りになると平安時代頃からの旧家となるから東北にはない歴史の厚みがあるのだ。

http://www.musubu.jp/2004dairyhaiku415.htm

高齢化社会はスロ−ライフになるのだが蕪村は60歳くらいで死んでいるのだ。ここが江戸時代と現代の大きな違いなのだ。江戸時代で長生きする人は極めてすくないからこそ老人問題の深刻さはなかったのである。姥捨山伝説がほとんど嘘でありただ親孝行を奨励するために作られていたことでもわかる。60以上生きる人は本当にまれだからむしろ老人は尊ばれたのだ。現代こそ姥捨山の時代になっている。施設にあづけられる人は現代の姥捨山でもあるのだ。

楽隠居とかは江戸時代にはあてはまる現代ではあてはまらない、会社を退職して楽隠居する時間が長すぎるのだ。この長い時間を楽隠居していたらボケてしまう怖さがある。むしろ現役で使命感をもって生きることが大事になってくる。90歳でも現役で活躍するようなことが望まれている。これは主婦でも家庭での役割がなくなるとボケてくるから怖いのだ。ともかく高邁なものでもなくても役割を持ち生きることがボケを防ぐことになるのだ。

私は膨大な量をホ−ムペ−ジで書いてきた。今ホ−ムペ−ジの本サイトは中断している。これはそこからの転載であり老鶯の句をまとめた。
この記事へのコメント
大至急御尋ねしたい事があります。
小林勇一様の詩は、わたしにとっても、とても心の支えてとなり感謝しております。
とても良い反響がありましたので「愛しあい調和する家族」を認知症ネットに投稿してしまいました。
これをもって最期とさせて頂きますが、どうか掲載の許可を頂けませんでしょうか?
連絡先が分からなかったので取り急ぎこのコメント欄に書かせていただきます。
何卒宜しくお願い申し上げます。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年02月12日 12:43
玉本あゆみ様へ

>私は施設勤務の専門職なのですが、17年前、>精神科でも勤務していた経験があります

痴呆の相談を読ませていただきました。私も家族が急に暴れ出したりしてどう対処ししていいかわかりませんでした。それでインタ-ネットで最初調べました。それなりに体験談とか書いてあって参考になりました、認知症については自分の体験を書き続けてきました。病気などの体験は相互の協力ですから自由に利用してもかまわない、著作権もありますが認知症関係はそれほどこだわりません

詩に関しておほめいただきありがとうございます
痴呆相談のどのペ-ジにのったかわかりませんが場違いでもないですし宣伝でもないですからかまいません、認知症とも関係ありますから
認知症で家族で感じたことは認知症が家族を破壊する病気だったということです
一番身近な人を盗ったとかなり暴力となるから悲劇でした

複雑な家族事情があるにしろそれ以来家族の平和と調和をせつに願うようになりました
だから別に認知症関係の掲示板にのせてもいいです
ここでは真面目に認知症の介護をとりあげていますから
今でも認知症についてはいろいろと考えています
確かに次の文などはそうでした

>昔の楽しかった事を写真や関連する音楽を聴き>ながら>話すのも良いでしょうし、御本人が好
>きな趣味的な事の中で出来る事や家事の中で簡>単な出来そうな事を習慣づけて一緒に行い、御>本人「今でも必要とされているんだ」「自分の
>存在を無視されておらず、受け入れられてい
>る」という安心感や自信をもって頂ける様なア>プローチも必要ではいでしょうか?

認知症は個々に家族で対処が違ってきますからみんな同じになりませんが私の家族の場合は退職してから怠け者になったことが大きな要因だったかもしれません、というのは家事もしていないし何もやらなくなった。その後洗濯とか掃除とか台所で料理はできないにしろ洗い物などを懸命にしていた、そして自分は役にたっていると自覚してもの盗られ妄想とか暴力はなくなり穏やかになった。穏やかになった結果→もの盗られ妄想が消えたのである。認知症のもの盗られ妄想は対処が良ければ消える、その他はやはり痴呆というごとく回復しなかったのは残念です

ともかく一番認知症介護で感じたことは家族が破壊される悲劇だったということです
だから家族の愛と調和を願う詩を書いたのです

これからも認知症の介護にご努力ください、ともかく認知症の介護で苦しむ人は悲惨です
これは本当に介護がむずかしいしどう対処していいかわからないですから・・・・・

Posted by プログ主(小林) at 2010年02月13日 22:36
有難うございます!!
感激です!
実は、とても偶然ですが、私も24歳の時に精神科の病院で勤務しておりました。
去年の夏に、兄を(病死)亡くしました。生存時は喧嘩もしたのですが、亡くしてから私と母の中に咲いていた花も枯れてしまい、家に飾っている物の全てに価値が無くなくなったようで灰色と化してしまいました。父も11年前に他界してしまいました。亡くしてから初めて分かる家族の大切さに気付かされました。私は他人には家族のように、とことん付き合えるのに自分の家族には…と、考えた時に専門職として自信を失った時期もありました。でも、何が出来るのか、生きて行く目標の一つでもある「遣り甲斐」を忘れられないので、認知症ケアを捨てる事が出来ませんでした。小林様の詩を拝見し、改めて欠けたら代わりの人は見つからない家族の大切さに気付きました。花の美しさが映えるような平和を求め、今後も愛しいと心から思える純粋な認知症の方々や御家族のの為にも、一人でも多くの方に認知症を理解して頂き、ケアにも精進していきたいと思います。小林様とのコメントのやり取りと共に再投稿させて頂きます。
「けあサポ」や「足立昭一・由美子ご夫妻様」のブログにもコメントを投稿しております。機会があれば御覧になってみて下さい。私もマイペースでコメントを書かせて頂きます。御経験があるから説得力がある小林様の感性、とても好きです!有難うございました。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年02月15日 00:02
石黒様

認知症ネットの掲示板は、システム改善の為、暫く休止しております。
また、多くの方に癒される日(再開)がくる事を切に願っております。
これからも、楽しみに拝見させて頂きます。
Posted by 玉本あゆみ at 2010年03月02日 12:49
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