
老鶯や街中に啼く雨の日に
介護関係の仕事がなぜ給料が安いのか、これはトヨタのように自動車の生産とか輸出したりして国を富ませているが介護や医療は富の増加につながらない、むしろ富を減らすことになる。医療や福祉の問題は金だけで計れないむずかしさがある。介護にしても仕事を部分で分けて収入化することがむずかしい。物の生産ならできるが相手が人間だとなるとできないのだ。医療や福祉を経済利益至上主義でやることがあっていないな職なのだ。教育にもそういうものがある。物の生産にはこうした効率化とか徹底した合理化とか売るためのあくことなき努力は当然なのだが福祉では合わないのである。それでこれが公共的な支援とか寄付とかボランティアとかが必要となる。
それにしても認知症の重度の人を介護している人には頭が下がるし給料が安すぎることは確かである。そうした仕事をしている人の日記を毎日のように読んでわかった。自分も認知症とかかわってこれは大変だと身をもってわかったからだ。私は軽度だから本当の苦労はわからない、でもこの軽度でも苦しんでいるのだから重度の人をめんどうみている介護福祉士とかの給料が安すぎる不満を言うのは理解するようになった。認知症の重度の人を世話するのはダンテの地獄みたいなところで働くような気さえした。よほとタフで体力もないと勤まらない、だからやめる人も多いのだろう。それなのに給料が安いと嘆くことはもっともだと思ったのだ。
介護関係の職の給料が安いのはどうしても物の生産とか違い、利益をあげにくいからである。医療だって収入をあげようとすればかえって病気を直らないように薬を飲ませ続けた方がいいとか収益をあげるために植物人間にしている病院もあるとかいろいろ問題がでてくるのだ。今や介護は大きな社会問題である。一人で二人の親や老人が老人を介護することも普通になってくる。その負担はあまりにも大きすぎるから国でもなんとかしてくれとなる。介護によって普通の生活を奪われその人の人生、未来まで奪われるとなると介護が単に家族の愛でやれとかではすまなくなる。