
意味ある古い記憶

歴史の地層
安売りにみな集まるや夕蛙
百円で売るときはここのス−パ−にも人が集まる。他はここのス−パ−にはあまりこないのだが場所が便利なので今はここにきている。蛙は春の季語であり夏には使わない、でも今日は寒かったから夏の気分は全然なかった。
南極から北極まで自分の足で答えを探せ!世界一過酷な冒険クイズ(フジテレビ)を見て
その形、石のクオリティ、そしてもっとも重要なのは入手の困難さなのです。 道中で嵐に出くわした(よくあることなのですが)り、人命が失われたりなど、安全に持ちかえるために要した努力が大きければ、その苦労が価値を高めたのです。
http://www.mantaray.com/yap/yap_stonemoney_j.html
この番組は面白かった。石の貨幣が海に沈んでいるのをとりだすのに苦労して取り出し運べば貨幣の価値があがる。そこで酋長にどんなに苦労してその石の貨幣をとりだしたかを報告するのだ。この石の貨幣は切り出すのにも運ぶのは400キロも離れたところから運ぶのでありそれでこの石の貨幣を運ぶ途中に嵐にあい海に沈んだのである。その子孫が今でも所有者でありそれを番組を作る担当者に売ったのである。これで考えたことは今まで老人の苦労した昔の話を認知症の回想法で有効だと書いてきたがそれと通じるものがあった。
つまり金の価値はどこにるのかということである。ギャンブルで株で一夜で何億円何十億もうけた金と一生かかった汗水たらしてかせいだ金の値打ちが同じなのかとなる。もし老人が10億もっていれば確かに豪華な施設に入り世話されるかもしれないがそこではその家族が金であづけてかまわないということもある。金持ちだからといってその子供は金ばかりあてにするものもでてくる。一方さほど金を残さない老人でも苦労して生きてきた人生は尊いものになる。その人生の価値はそもそも金で計れないのだ。この老人は一文も残さないから価値がなかったとか言えないのである。どれだけ苦労して人生を生き乗り切ってきたかという物語に価値がでてくる。だからこの苦労の物語を報告してその価値が決められる、それは老人の価値もそうなるものでありその苦労した物語に価値があるのだ。
だから老人は必ず一番苦労したことを必ず何回も百回も語っている。戦争の苦労がそうである。私の家では最初店をはじめるとき資金がなくその資金5万ほど用意するのに借りられず大変な苦労をした。それを何度も言っているし私の親をガンになったとき大変な苦労して介護したことも何度もいやになるほど言っているしいかに苦労して生きてきたかを老人は必ず言っている。つまり老人の価値はそれぞれの長い人生を苦労して生きてきた物語に価値が生まれているのだ。それは作り話ではない現実の物語、血の出るような苦労した物語だから価値がでてきているのだ。あまりにもギャンブルでもうけた大金の話をしてもその話自体には価値は付与されない、老人になってそんな話を聞いても誰も価値を認めない、人生の価値は認められないのだ。認知症であれ老人にはそうした苦労の価値を認めることが大事である。認知症になっても回想法で昔の苦労話を聞きその人生に価値を認めてやることが大事になる。