2007年11月09日

認知症の暴力の原因(プライドを失わない


認知症の暴力の原因(プライドを失わない)


直前のこと忘れるけど自分が忘れたと認めない
自分じゃない、他の人にする
サイフを隠したりして自分でわからなくなるけど
絶対に自分のせいにはしない
馬鹿になったけど馬鹿にされたくない
訳がわからなくても訳ありの顔をする
金は管理できなくても自分の金はもちたい
いろいろ能力がなくなっても
前と同じようにあつかってもらいたい
前と同じくできる人間としてあつかってもらいたい
馬鹿にされたくない、軽蔑されたくない
私は前と同じであり優秀なんだ
そして何でもできる時に心は帰り実際にその時の人になる
これらを認めないと暴力をふるう
自分自身もできないことに憤りを感じている
なぜこんなことができないのかわからないのか
その不満が最も身近な人に向けられ暴力になる
認知症の人は何よりもプライドをもっている
これを傷つけられると怒り暴力になる


認知症とはそもそも何なのか、認知症はわかりやすいと書いた。わかりやすいというとき正常者の心理で推測できる、理屈でわかるということでそのことを書いた。ただわかりにくいこともある。なぜしきりに家を出るというのか?何かことあるとそうなる。私の家ではその人の言うようにしているからそうなるはずがないのにそうなっている。これも不思議な心理だしこれが極端になると徘徊になるのかもしれない、家から出てしまうという心理がわかりにくいのだ。どこに行くのかというと前は友達の所だったが今は拒否されたから行くところもないのに出て行くという、何か不満があるとそう言うのである。そこが解せないし行くところもなくあてどなく出て言ったらこれは馬鹿だしどうにもならないものとなる。
 
最近また悪くなって暴力をふるう、暴れたのは不満があったからだ。自分の金を自由にできないから自分の金を盗ったと騒ぐ、金を自分で管理できない不満が身近なものに向けられる。認知症の人は自分ができないことに大きな憤りをもっているのだ。その不満が暴力になる。どうしてもこれだけ無能力化されれば家庭でも回りでも軽蔑の対象になり家族からも嫌がられのが普通である。では認知症の本人の心理としてこれは理解できないことはない、誰だって馬鹿にはされたくない、軽蔑はされたくない、無能力化されても能力あるときの自分のように接してもらいたいというのは理解できる。ここが普通の生まれつきの知的障害者との大きな相違である。プライドを堅持している、だからプライドを傷つけられると怒り暴力にもなる。軽蔑されたとかわかるとか回りの対応に敏感になっているというのも不思議である。家に時々話し相手にくる人は世話になったからと馬鹿にしていない、今も前のようにたてている。それで満足しているのだ。でも普通はそうはならないしめんどうだからつきあわないしつきあえないのだ。理解力がなくなり能力が落ちているから話が通じなくなるからだ。
それで幼なじみから付き合いを拒否されたとき暴れたことがわかる。回りの対応が今までと違ってくる。なぜ

自分は嫌がられのか?その不満が身近な家族に暴力となってくるのだ。 


沖縄では老人を敬う習慣が残っていてボケ老人でも老人は敬われているから老人のボケは気づかなかったり仕事までして普通に地域社会で暮らしているというから不思議である。認知症になっても回りの対応が変わらないからボケがすすまないし社会に適応しているという。だからこうした昔ながらの老人を敬う社会だったらボケは認知症はあったのだが単なる耄碌とか老化として家族でも地域でも大目に見ていた故江戸時代でも認知症の対する病気という認識がなく記録として特別なものとして残らなかったのかもしれない、高齢化してこうしたボケが増えてこれを病気とするようになったともとれる。文明化して科学が発達するとかえって病気の種類が無数に増えて来る。鬱病もどこまで全部が病気なのかわからないが鬱病は病気だとなりあらゆるものが病気として治療の対象となってしまう。ともかく認知症は不可解な病気にしてもその暴力の原因も心理も理解できないものではない、その点これが精神異常なのか何のかわからない点なのである。能力がなくなったそのことに対して自らも憤り他者にもその不満をぶつけるのが認知症の最大の特徴のように思えるのだ。
 

認知症の誤解(認知症は正常者かみ見てわかりやすい?)
http://www.musubu.jp/jijimondai36.html#nin1

 

認知症の暴力の原因(プライド高いリア王の最後とにる)
http://musubu.sblo.jp/article/1323527.html

 

認知症老人より劣る普通の老人?
(人間の価値は誰もわからない、神のみぞ知る)
http://www.musubu.jp/jijimondai38.html#robot

 
認知症だけではない、普通の老人でも人間は自分が優秀だとこだわる人はリア王のように狂気と化してゆく
だからこのプライドの問題は人間一般の問題でもあった。それをここで書いた。
 
posted by 老鶯 at 15:29| Comment(1) | TrackBack(0) | 福祉医療-老人問題
この記事へのコメント
<文明化して科学が発達するとかえって病気の種類が無数に増えて来る。

私も考えさせられた事です。
認知症を発症する原因となる、メタボリック症候群も、恵まれた食生活が生んだ現代病です。
魚や野菜などの認知症予防に適した一汁二菜の質素な食事を摂取していた昔の方が、認知症の人の数は少なかったでしょうね。
ストレスや鬱病についてどうでしょうか…
鉄砲刀剣類所持等取締法もなく、貧しい人は物扱いとされ、認知症という病気さえ明確にされていなかったかもしれない時代、周囲の包容力は皆無だったかもしれません。弱い者は精神的な苦痛を虐げられ、強い者は権力や暴力や殺人を使ってでも、自分のプライドや立場を保持しようとしていたのでしょう。老いていく過程では、皆、平等なのですが。プライドを捨て謙虚に、堅実に回る方が偉人だと思いますが、環境によって様々だったのでしょうね。認知症の高齢者は、皆さんプライドをお持ちです。それをポキ〜ンと折り曲げようとする言動は、余計に神経を逆なでてしまい、二次的・三次的被害が発生します。薬物療法を並行していても波はあるでしょうし、デメリットもあります。認知症の人も、苛立ちをぶつける事が出来るのは、気を使わなくてすむ御家族でしょう。専門職の人には見せない死角となっている部分はあると思います。その死角を緩和し、御家族の精神的な負担を軽減していきたいと願っております。
専門職でも、対応については、なかなか柔軟性をもつ事が出来ない人もいますが、事態を悪化させずに、なるべく穏やかに過ごして頂けるような、個人に適したケアの助言をしていきたいと思います。

<自分は嫌がられのか?その不満が身近な家族に暴力となってくるのだ。

これは、認知症の方に限らず人間の基本的な心理ではないでしょうか。その不満の捌け口の矛先や病名によって、正常と異常の境界線があるのかもしれません。小林様は、お姉様の御気持ちを、よく配慮し対応されたと思います。詳しい日常生活のやりとりは分かりませんが、色々な葛藤や忍耐もおありだったと思います。小林様の、貴重な御経験や詩も、今後の認知症ケアの向上や御家族へのメンタル面でのサポートにも役立てさせて頂きます。心からお礼を申し上げます。私が兄の死を乗り越えるには、今、私が出来る事を真摯に受け止めて一歩ずつ進んでいくしかありません。
亡くなられた方の事は、記憶から消し去る事は出来ませんし、あの時もっと、こんな事も出来たのではないか…守ってあげられなかった事に後悔も残ります。でも、小林様は御自分に出来る事は精一杯されたのですし、亡くなっても大事にされておられるのですから、お姉様も天国で感謝しておられると思います。認知症の怖さを知っているから、自分も母も罹患しないように予防を心がけている毎日です。今日は、午後から仕事の関係で東京へ参ります。また、戻りましたらブログも拝見させて頂きます。小林様も、小林様の御家族様も、どうかお体にお気を付け下さいね。

Posted by 玉本あゆみ at 2010年03月05日 10:10
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