2013年05月01日

消えた六号線と常磐線の活気 (プログに記録された原発事故前の写真二枚)

 

消えた六号線と常磐線の活気

(プログに記録された原発事故前の写真二枚)

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常磐線でもス-パ-ヒタチが走っていたときは常磐線が活きていた。今は二両の電車であり原町と相馬市間を走っているだけであるから淋しい。まだ走っているだけでいいともなる。
常磐線が開通するのは相当に先である。その見通しがたたない。
津浪の被害にあったわけではないから線路はつうじていても原発をかかえてんるから
警戒区域になっているところが広いからなかなか復旧できないだろう。
住民がもどってこないと駅も開けないだろう。それがいつになるのか見通しがたたないのである。

saikuruuuu111.jpg


六号線でもこのサイクリングの一団が走っているような時は活気があったなと思う、東京と通じていたときは六号線も活きていたのだ。自分は長距離トラックの音などが嫌だった。
今は全く通らないのだから聞こえない、東京からの車は六号線では来ない。
でもこの写真を見たとき不思議に思う。今でも一人のサイクリングの人がきている。
でもこのうよに何人かで組んで走る姿はない、だからこの写真見たときつくづく六号線も活気あったなと思う

東京から歩いて来た人もいたし鹿児島から歩いて来た人には驚いた。
六号線では遠くから来る人良くみかけたのである。今は東京と通じしていないのだからみかけない

でもサイクリングで一人津浪の見聞にきている人が結構いる。
でもこのうよな感じにはならないのだ。
だからこの写真を見ると六号線は活きていたなとつくづく思う

常磐高速道は二年後とかに開通しても六号線の方が自分には身近だった。高速道路ではこんなふうに走っているサイクリングの人を見ることはできないからである。

まだここは人間的なものがあったとなる。高速道路になると何か人間的なものがなくなる。
まずこんなふうに風景はない、全く隔離されたところで車だけが走っているから
車に名乗らない限り関係できないものとなる。


でも常磐線の代わりになるから東京と直接通じることで電車の代わりの役目を果たすことは確かである。するとまた活気がでてくるだろう。
すでに常磐線は原町-いわき間は乗る人が少なかった。仙台が多くていわき間は少ない、いわきにゆく人はこの辺では少なかった。それでも六号線を通じて交通があり人と物の往来があった。

常磐線もス-パ-ヒタチが通っていたときが活気があった。ス-パ-ヒタチには何度も乗ったからである。それが乗れないということ走らないのである。原ノ町駅にス-パ-ヒタチは時が停止したように停まったままなのである。

posted by 老鶯 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連
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