2013年05月01日

プログに記録された右田浜の松原の写真 (もはやもどらない松原の風景)


プログに記録された右田浜の松原の写真

(もはやもどらない松原の風景)


manogawakakou11111.jpg


matumigitaa23232.jpg

この写真のように松の記録は津浪で海中に消えたようになった


matuazami111.jpg

migitayasaura111.jpg

台風で決壊した八沢浦の防波堤の工事

プログを読み返した。そこでまた右田浜の松などが写っているのを発見した。
自分で書いても忘れている。プログが備忘録というように忘れることに備えるために書いているとなる。
ともかく人間は忘れやすいのである。えか、こんなこと書いていたの、こんなこと写真にとっていたのとか全く忘れているのだ。2005年からはじめたから2年間くらい見たものだった。


まず右田の松原はもはや見ることもできないし再現もできないものとなった。
これは平和な時に松原があったときの写真である。


八沢浦は津浪の前に台風の嵐で前の家の何軒かに潮水にひたった。その時防波堤が壊れてしまったからだ。その防波堤を直していた。今回は津浪で全部喪失した。直しようもなくなったのである。
松二本だけが残された。


もう松原を回想する方法がない、松原がありその前に田植えをして実りがあった風景がおそらくこの辺で何百年とつづいていたのだ。それがみんな喪失したから信じられないとなる。
右田浜のキャンプ場の松もなくなった。あそこは歩くようにできていた。
でもあのコンクリ-トの歩く場所もみんな流されたのである。
確かに名残の松は残っている 。でも当時を偲ぶことはできない、今は荒れ果てたものとなってしまった。


右田の松原はただここに残した写真でわずかに思い出すほかないのか?
松は津浪と共に消えてしまった。幻想のように消えてしまったのである。


 松に寄りてここに変わらぬ秋薊

松というのは常盤木であり変わらないものの象徴だったのである。それがみな消えたということが
信じられない。変わらないものとしてありそこに秋の薊(あざみ)がよりそうように咲いていたのである。そのよりそう松はみんな消えてしまったのである。
この自然の変化はあまりにも大きすぎたから想像すらできないものであった。
もはやよりそう松はないのである。
 
 

posted by 老鶯 at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波関係
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/66130312
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック