2006年05月07日

延齢草(記憶力は強く意識しないとつかない)



90や小松の下に延齢草

九〇歳以上生きている人が百万人いるといってもそのうちの三割は認知症とか寝たきりとかまともではない、だから九〇歳まで生きて認知症、ボケにならない老人はそれだけで称賛に値する。やはり九〇歳まで生きるとなると容易ではないのだ。ボケになると悲惨である。これは軽度と重度ではかなり違っている。テレビに認知症の老女がでていたが口をモゴモゴしていたから一目で変だななとわかる。一目でおかしいなとわかるようになるとかなり重度に思える。そんな人がテレビにでていたことに驚いた。そんな姿普通さらしたくないからだ。目つきがおかしくなったり何かゆがんだ顔をしていたり一目で変だなとわかるようになると悲惨ではないか?

ただまだらボケは普通のときがあるのでわからないのだ。今ではかなり回復したので我が家の認知症はちょっと接しただけでわからなくなっている。今までのように同じように普通の人とつきあっている。一時断られたところも付き合いが回復した。まず普通の人とつきあえるということはほとんどどこが異常がわからなくなっているということでもある。だから別に地域でも家庭でも普通に暮らしていける。認知症の重度になるとあまりにも悲惨だからこのいい状態を維持して願わくばこんな状態で死を迎えれば最善だとなる。認知症の死は人間が壊れてゆくとかあまりにも悲惨すぎるからだ。実際に死より悪いとなってしまっている。家族からも見放される。家族でもどうにもならないからであり家族を責めるわけにもいかない、だから初期の段階で手をうち病状が進まないように最善を尽くすことが大事になる。そしてなんとかまだらボケの状態を維持するのがいいとなる。

記憶にしてもすべての記憶が失われるのではない、電話したことや比較的大事なことは覚えていたりするのだ。記憶というのは例えば会社にいたら何か約束したらその約束を守らなければならないとなればかなり意識するから忘れないはずである。なぜ退職したりすると脳がぼけてくるのか、脳の働きが悪くなっていくのか?それは実社会にいると違って記憶しようとする強い意識が働かなくなる。毎日が自由であり何もしなくていいとなると脳が働かなくなりやがて記憶障害まで起きてくる。グ−タラボケになってしまうのだ。外国人の相撲取りがなぜ日本語がうまいのかというと日本語ができないと相撲も覚えることができない、毎日強く意識して日本語を体で覚えるから記憶するから上達する。つまり強いモチベ−ションとか意識が働かないと記憶力もつかないのである。退職するとそれかなくなるから記憶する力が衰えて認知症にボケになりやすいのかもしれない、とにかくボケにならないためには意識して頭でも足でも働かせないとだめである。楽隠居はボケの最短道である。でもみんな退職して楽できるということしか考えていないのだ。これも退職して一〇年くらいで死ぬならいいが二〇年となるとその過程でボケになる率は高くなってくるのだ。これが怖いのである。
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