2006年05月06日

老鶯(認知症の原因は環境の変化−役割喪失か?)

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行きなれし道に老鶯ないて暮る

田舎町つばめ迎える雀かな

山吹や河原に裸の子供かな



老婆の語るもの

君の側に黙って立っていた樹
それはただ立っていただけではなかった
風に嵐に雨に雪に耐えて立っていたのだ
その歳月は五〇年百年と長い
それゆえに重みがある
そこには刻まれている忍苦の歳月が
九〇度腰の曲がった老婆は醜いか
九〇年の忍耐の重みの故に曲がっている
それは家を自分を支えてきた
家を離れた時、その存在の重みを知った
ひしひしと痛々しいまで支えた重みを知った
そのように土台の石となった人が大勢いた
人柱のようになった人がいた
歴史は人の忍苦により作られている
その上に今の繁栄がある
歴史を作りしは人であり物ではない
人の汗と血の結晶なのである



認知症になる原因は何なのか?生活習慣病だと食生活とか体から影響してなる。高血圧とか糖尿病の人はなりやすいとなる。それだと別にその人の生き方とか趣味がどうの生きがいがどうのこうのとは関係ない、体が悪くすることに注意すればいいのである。一方その人の性格とか生き方とか家庭環境が影響するとなるとこれはいろいろな要素がからんでくるからむずかしいのである。ただ最近はずっと盗ったとか妄想も見なくなっておとなしくなった。忘れることは変わりないが問題行動を起こさないのである。まずいろんなところにサイフとか通帳など隠さないからこちらでもどこにあるかわかっているから安心なのである。何かないと言ったときすでに自分はあるところがわかっているしすぐそこにあるよといえるからである。本人もだから今は安心したのか騒がない、責める相手もいなくなったのでおとなしくなったのである。これは明らかに環境が影響してなったからとりまく環境を変えれば症状がおさまるということなのか?

五十代からなるアルツハイマ−とはここが根本的に違うという、五十代からのアルツハイマ−は環境とは関係ないから環境を良くしたり脳リハビリしても回復しないからだ。ここが老人の認知症と違うというのは本当なのだろう。五〇代からのアルツハイマ−は特殊性が強いが八〇代以上になるのは誰でもなりやすい、老化現象と一体となったものだから回復しやすいとなるのか、それにしてもなぜアルツハイマ−と症状がこれほどにているのも不思議である。環境が原因だとすれば嫁と姑の関係では姑が家でもの主導権を握られたから役割が喪失したことにより自信喪失なのだからその役割を回復してやると自信がつき認知症が良くなりうる。他に環境が認知症の治療にいいとなると例えばスリランカとかで村の一人が病気になると村の人全員が集まり病気の人を祈り励ましたりするのをテレビで見たことがある。ここでは医者とかがいない原始的な村だからである。それで無力なのだがみんなで集まり励ますことになる。認知症、ボケにはこういうことが効果的である。環境を良くすると回復しやすいとなる。

認知症の問題はやはり人間の役割喪失からきているのか?原始的な村の長老のような役割はもった時代からあまりにも遠いしそれよりこれまでは人間は長生きしなかったからこんな問題も起きなかったのである。定年退職してから二〇年もまた生きるとなるとこれは大変な時間を生きることになる。そのとき会社一筋とかで生きた人間でも退職すると役割が喪失する。地域でも長老とかの役割などゼロである。地域社会そのものがなくなっているからだ。だから退職するとそこからすでにボケる問題が深刻化してくるというのは本当なのだろう。社会的役割、家庭の役割喪失がボケになる大きな要素だとするとこれは高齢化社会では等しく起こる問題だから深刻なのである。退職したからといって一般的には趣味とかその他をはじめてもそれに没頭しうるのかとなると疑問だからである。むしろ社会でも家庭でも老人になってもなんらかの役割をもち続けることがボケないために必要だとなる。

ともかく老人にはそれだけ長く生きているのだからそれぞれに存在価値があるのだ。その存在価値は長い年月によって作られてきたのである。その存在価値を認める必要があるのだ。だから一人一人の老人の過去を知らないとそうした存在価値を認めることもできない、それをなしえるのは女性の場合は家庭だとなる。嫁は女と家であり家と一体化したのが女性であり家への思い入れが強いのである。つまり家の人柱になったのが女性の歴史だったのだ。それが悪いと呪縛霊になり家にとりついて離れないほど家に執着して生きてきたのが女性であり認知症になると家に執拗にこだわるのもそのためだとなる。嫁と姑は家をめぐっての争いであり男は社会的権力をめぐっての争いであるのがこの世の変わらぬ憎悪の世界を作り出してきたのである。

今日は立夏だとてるとやはり老鶯とか山吹とかが合う季節になったことは言える。老鶯は自分の俳号にしたから老鶯の句を作った。電線に雀がつばめを迎えるというのも我ながら面白いと思った。裸で子供河原で遊んでいたのも変わらない風景がまだ田舎にはあった。



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