2007年11月04日

松を友とする秋の短歌(古歌−自作)


室戸に立てる松の木汝を見れば昔の人を相見るごとし(万葉0309)

たまきはる命は知らず松が枝を結ぶ心は長くとぞ思ふ 1043

ここをまたわれ住み憂くて浮かれなば松はひとりにならむとすらむ 西行

我が園の岡辺に立てる一つ松を友と見つつも老いにけるかな

松が根の岩田の岸の夕涼み君があれなとおもほゆるかな

たれをかも知る人にせん高砂の松も昔の友ならなくに(古今集 藤原興風)

いたずらに世に経るものと高砂の松もわれをや友と見るらん 紀貫之


秋の日や旅のしるべの石と松

新しきしるべとありな松一つ秋の日さして我が寄れるかな

秋の日に昔のしるべの松なれやその松古りて我が寄れるかな

秋の日に昔のしるべ松古りぬ枯れて残れる薊見るかな


行き帰り松一本の親しかな畑の道の秋の夕暮


(日本海)

野積へと通じる道や松一本良寛寄るや秋の夕暮

秋日さす入江の松原わがあゆみ長く泊まりし船をし想ふ


  松を友とみることが多い、松は日本人には最も親しい身近な木だった。だから松にまつわることは無数にある。江戸時代は街道の松並木があり常に松を見ていた。松は日本の美しい光景に欠かせぬものだった。絵のように美しい松並木が各地にあったのだ。防風林として松原も多かったから松は白砂青松の風景として日本の景観を作ったのである。


ここをまたわれ住み憂くて浮かれなば松はひとりにならむとすらむ 西行

我が園の岡辺に立てる一つ松を友と見つつも老いにけるかな


西行は庵を転々としている。一カ所にとどまっていない、そういう暮らしができたことが不思議である。この歌は転々とする西行ゆえに松はひとりに残される。一方で松は旧友のようにそばにありその老いを見守る、離れずある松がある。人間の心の反映として松もある。だから確かに街道の松並木は消えたがやはり日本にはいたるところに松が残っている。その松に思いをよせる人はいる。ただ車だとそうした松にも思いをよせることができないのだ。車だと人との出合いも道ではないし道中の道の辺の松とか石とか道祖神とかに思いをよせることはない、分去(わかれさり)でわざわざ人を見送る秋の暮とか人を入れねばならないのも人を見送ることがないからである。新幹線にしても見送るといってもあまりにもその時間が早すぎる。あっというまに行ってしまい旅情もなにもないのだ。キレルというときまさに今の時代ほど日常的にキレル世界を生きているのだ。関係が常にキレルのだ。現代は旅するというとき芭蕉がたどった道にはもはや昔の面影はほとんどない、では奥の細道はどこにあるのか?細道はあまり車の通らない道である。それが阿武隈高原にはかなりある。幾重にも道が山の中を通っているしそこには新たな道しるべとしての友としての松があったのだ。ここも車で通ったらバイクでも飛ばしたら友としてみるよる松はないのである。旅は今や相当に苦心して演出しないとできないものとなっているのだ。歩くということが人間として新しいことを体験することになる。人間が立って歩くことから人間になったというときその歩くことがなくなったということ自体が人間喪失の時代になったのだ。
 

新しき友にしあれや秋の朝知らざる松にわれはよるかな
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