2013年04月03日

旅をふりかえり詠む桜の短歌 (白石千本桜-阿武隈川の桜-梁川-丸森)


旅をふりかえり詠む桜の短歌

(白石千本桜-阿武隈川の桜-梁川-丸森)

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東京の桜は嵐に散りにしと伝えられつつここも吹き荒る
みちのくに花咲く前に嵐かな遠くに行けず内にこもりぬ
(白石-千本桜)
訪ねれば千本桜は散るあとや相馬は遠し我が帰るかな
長々と白石川やその岸に千本桜や東北線かな
阿武隈川はここより広く蛇行して海に到るや花盛りなり

満開の桜そ映えぬ残雪の蔵王の迫る朝の光に
(阿武隈川-巻淵)
巻淵や阿武隈川の渦巻きつ淀み流れ桜の道行く

阿武隈川淀みの深く何ひそむ巻淵の名や桜咲くかな
残雪の吾妻嶺望み阿武隈渦巻き流れ満開の花

阿武隈川岸の桜の点々と流れ激して我がそい下る
(二本松)
二本松安達太良映えてその天守高くも朝の桜花かな

小浜城訪ねてみれば夕暮れに桜を見つつ麓も暮れぬ
(梁川-丸森)
丸森の峠を越えて梁川や城跡に夕べ桜の散りぬ

川岸に桜と梅や春草の土手に萌えつつ燕飛ぶかな
丸森や夕べ咲きにし桜かな峠を越えて相馬に帰る
六万石相馬の花は濁りたる堀に写りつ夕暮るるかも


白石の千本桜は有名である。あれを見るのはたいがい東北線の車窓から見ている。ところが自分が見たのは自転車で白石まで行ったときだった。その時はすでにみんな散っていたのである。それが何とも感慨深いものだった。桜が見れずにどうして感慨深いものかというとまずその距離感覚から見るものが違ってくるのだ。そこまで苦労して桜を見に行ったけど散っていたとなる。桜は満開に咲いているときだけが桜ではない、それは



花は盛りに・・


花はさかりに 月はくまなきをのみ見るものかは
雨にむかひて月をこひ たれこめて春の行方知らぬも なほ哀(あわれ)に情(なさけ)深し
咲きぬべきほどの梢 散りしをれたる庭などこそ 見所(みどころ)多けれ
歌の詞書(ことばがき)にも 「花見にまかれりけるにはやく散り過ぎにければ」とも
「さはる事ありてまからで」なども書けるは 「花を見て」といへるに劣れる事かは
花の散り 月の傾くを慕ふならひはさる事なれど ことにかたくななる人ぞ
「この枝 かの枝散りにけり 今は見所なし」などはいふめる


萬(よろず)の事も 始終(はじめおわり)こそをかしけれ
男女(おとこおんな)の情も ひとへに逢ひ見るをばいふものかは
逢はで止みにし憂さを思ひ あだなる契(ちぎり)をかこち 長き夜をひとり明し 
遠き雲井を思ひやり 浅茅(あさぢ)が宿に昔を偲ぶこそ 色好むとはいはめ
(徒然草-吉田兼好)



花は盛りにだけ風情があるのではない、花見というと盛り焦点をあてているが桜は散るときも風情がある。散ったあともしばらくは余韻があるのだ。さらに咲く前にもすでに花を見ようとしているから花見がはじまっている。花は盛りがすべてではないのだ。千本桜を訪ねた時はみんな散った後だった。でもそれが何か深い感慨として残っている。それはそこまで行った距離も関係していたし自転車で行ったということも関係していたのだ。車だったらまた違っている。車での花見は経験していないがやはり近いものとなるからまた違ったものとなる。現代が便利になったというとき深い感慨がもてないのは便利すぎるからなのである。江戸まで歩いて旅して日本橋まで来たのと新幹線で二時間で着いたよとなるのでは全然違った感覚になるのだ。その喜びは天と地のように違っている。便利になってかえって旅の喜びがなくなってしまったのである。

桜と城はあっている。城に桜は映える。二本松城は天守閣があったところが山の天辺だから見晴らしが一番いい。小浜城もそれなりの城だった。小さいにしてもそれなりの構えがあった。そこから安達太良の山が見えて暮れてゆく。そこを訪ねたときはもう日も暮れようとしていた。ここに行ったのも自転車だった。梁川城は会津までかかわった古い城である。阿武隈川を梁川から下った所は見物である。流れが早まり淵に渦巻き流れる。そこに満開の桜が咲いていた。眺めも残雪の吾妻嶺が見えて
ビュ-ポイントになっていた。そこから丸森に下り相馬に帰る道は情緒がある。桜と桃が一時に咲く場所でもある。あんなところまで放射能が影響したことは残念である。

阿武隈川の巻淵というのはどこにあるかわからなくなった。地図を見てもわからない、ただ記録に巻淵と残っているから確かにあった。そこでも桜は咲いていた。深い淀みがあり渦巻く流れがあり桜が咲いていた。島山とあるから島山の近くである。阿武隈の流れが狭まり島山というのは山で流れがさえぎられた所である。東和町の中にあった。


阿武隈川の流れは山間深く滔々と
巻淵に広く淵なし淀みつ流れ
島山に急流となりて磐間を激ち流れ
丸森にい出てや遠く残雪の蔵王を望む


この辺は変化に富んだ所だった。ただ人間は忘れやすいから旅は必ず記憶しておくべきなのである。あとで記憶が蘇るからである。別にこの辺は行けないということはない、日帰りコ-スだからである。電車だったら白石の千本桜は車窓からも見えるのである。

相馬の城跡の桜はいつも濁った堀に写るだけである。ともかく桜はいたるところに咲いているのだから名所だけの桜を見にゆくだけが花見ではない、すぐ近くにどこでも咲いているのである。
ただ会津の方の桜はわかりにくい、盛岡とか弘前城の桜はまだ見ていない、桜咲く時期に見ることがむずかしいのである。なんだからこれだけ桜のことを書いて花疲れになったというのも変であった。

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